1/28(火)朝の徳山です。明け方は雪がちらつきましたが、
今は止んでいます。これから山間部は雪予報が出ています。
本日の六日市礼拝は、降雪のため家庭礼拝となりました。
1/25(土)柳井礼拝後。
曇りのため、電気を付けています。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
1/28 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。
2/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
2/4 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝
2/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
2/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
□ルカ4:16~21 (新107)
□ 説教 「私には夢がある」
主は「イザヤ61:1~2前半」を読まれた後「朗読終了(20)」の意思を表明されました。。朗読後、主は「聖書が実現する(21)」と宣言されますが、この言葉が会堂混乱の契機になります。何があったのでしょうか。主の「目に留まった(17)」聖書箇所と朗読が鍵です。
当時の聖書は「章句」がない、平文でした。章句は13世紀に付加されました。平文聖書を開き、主が相応しいと見られたのは、貧しく困難な人々に、神が共にあるとの箇所でした。主は「実現する」という「解釈」も、会堂に集う人々への希望として必要と見たのです。
ところが主の意図は、ナザレの人々(に代表される、主の時代の人々)に届きません。ご発言には「主に目を注ぐ(20)」のみ、次の「実現」の言葉に、不規則発言「ヨセフの子だ」という「蔑称」が飛び出します。「イザヤ61:2後半」の実現が人々の求めだったのです。
「神の報復思想」は、詩編94編等の旧約に見出され、主の時代も求められていた考えでした。主はその中で「困難な人への支え」に生きる姿勢を鮮明にしたのです。私たちは、この主イエスからの「支え」の延長線上にいる一人です。心の先にある方を覚えましょう。