1/21(火)徳山礼拝所の朝です。
晴れの予報ですが、今は曇り。
この鉢が凍結するほどの寒さだったのに。
典礼色は緑。
寒椿がいい様子です。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
1/21 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝
1/25 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
1/28 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝
2/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
2/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
ヨハネによる福音書第2章1~11節
■ 説教 「もう飲めない」
「水がぶどう酒になる(9)」光景は、新郎新婦の両親や、執事役のマリアにとって望外の喜びでした。主イエスは、「望ましくない状況」を「しるし」で好転させるのです。私たちは、主のこの出来事に自身の祈りを重ねたいと思います。「状況の好転」を主に託すのです。
別の見方では「現状の支え」とも考えます。「しるし(11)」とは、主イエスを分かりやすく示すものです。この「ヨハネ2章」という脈絡が大切です。2章後半の「宮清め」は、「祭儀の利権」を否定します。この話も、「清め」を否定するのです。「あるがまま」が結論です。
主イエスはなぜこの「しるし」に、「清めの水がめ(6)」を用いたのでしょうか。「衛生」の水がめを、一時的とはいえ用途不能にした意図は何でしょうか。神さまの差配される「結婚式」に「清めるべきもの」はないこと。神さまが全て、受容されることを示したのです。
主イエスは母マリアに「婦人よ、時はまだ来ていません(4)」と語ります。7章でも「時は未だ(8)」と語ります。水がめの清めや、神殿の動物に替わり、主がご自身を捧げた「時」は、十字架の時でした。今はただ主イエスが、私たちの「あるがまま」を受容されるのです。