2017年11月19日日曜日

11/16.19 海と礼拝と献花

 11/16の小浜海岸です。いつもとは違うアングルです。
 北風吹き込む海岸に立つ、松の木です。
 この後、いつもの家で礼拝が行われました。
  11/19徳山C廊下の十字架です。
  プレゼント包みはアドベントキャンドル。柳井の方が捧げて下さいました。
  11/19 清掃後の教会です。
  皆さまのご奉仕のおかげで綺麗になりました。

そして11/19礼拝堂の献花です。
 こちらも感謝なことです。

今週、聖書の学びは牧師の出張の為、行われません。
今週、来週ともに以下の日程で集会、礼拝が行われます。


11/21 (火) 徳山 聖書の学び 休会です。

11/25 (土) 13:00 益田 小浜礼拝
        14:00 益田 元町礼拝
        19:30 六日市礼拝

11/26(日)10:45 徳山 礼拝 


いづれの礼拝、集会ともにどなたでもご自由にお集まりいただけます。

本日の礼拝メッセージは以下の通りです。



【マタイ福音書251-13節】
 「油」が欠かせない時期となりました。油は自動車にもストーブにも、そして私たちの身体にも欠かせないものです。主の時代は「オリーブ油」が用いられていました。ちなみに油は英語で「オイル」ですが、これは「オリーブ」を語源とするものです。古くは灯火として用いられ、聖書でも「灯」の燃料としての記述があります。今日の聖書は、一読してもなかなかその意味がつかみにくい。というより、例え話の細部が気になってくるのです。

 ただ、細部に気を取られ過ぎるとみ言葉の真理を見失います。今日のみ言葉の真理は、「油を欠かさないように」という勧め、「油の補給場所があります」という支え、つまり「油」の意味を解きほぐすことで明らかになります。それで、「油」とはこの聖書の話の中で、どのような意味を持っているでしょうか。油は灯の原料ですし、その灯は所持者であるおとめたちを輝かすためにあるものです。油は、おとめたちにとっては自身の居場所や自分自身を明らかにさせるものですし、家の主人や花婿にとっては、道を照らす誘導灯です。

 ぼんやりとした表現になりますが、油は「私の元気の源」とでも言えます。今日の聖書の大きなテーマは「終末」でして、これはいわば、「私の地上の生涯の過程」を意味します。その過程の中で、おとめたちが待ちくたびれて皆寝てしまったように、私たちも疲れる時が来るのです。花婿なる神さまが来られるとき、つまり私たちが神さまにお会いする時、とてもその準備が出来ているとは言い難い。神さまに胸を張って、その時を待てるものとは言い難い。なぜなら、私たちは毎日忙しくしていて、自分の油の残量など測れないのです。

 その意味で私たちは「愚かな」おとめたちなのかもしれません。でも私たちの時代、油の場所は明らかです。それは教会。何と油の給油代は無償なのです。しかもセルフスタンドなのです。牧師の働きとは、皆さまに油をお届けすること。ただ一つだけ、皆さまに為して頂きたいことがあります。それは、車で言えば「給油口」を開ける事。つまり、共々に全能なる神さまのみ前に心を開いて集い、この無償の油を受けとる群れでありたいと願う。
 

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