2018年4月1日日曜日

3/31.4/1 イースター礼拝と献花



  3/31 益田市小浜海岸。今日は教会の子どもたちを連れて行きました。
 崖の下で何かの相談をしています。

  足がすくむような岩山に昇る子どもたち。
 一番小さい人は天の声で断念させられました。
 この後、小浜礼拝で、集われている方に「イースターエッグ」「クッキー」をプレゼントしました。六日市でも礼拝が行われました。
  4/1 イースターにはやはり百合の花です。
4/1 徳山礼拝の聖壇の花です。今日も百合、そしてピンポイントに紫の花。
 教会暦に相応しい色使いでした。

 イースターエッグシール、クッキー、献花はいつも皆さまからのお捧げです。
 ありがとうございます。

 
 復活祭(イースター)の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。
1 初ばいさんを迎える教会の幼子が、きちんと「アーメン」と言って
   陪さんの時を迎えました。この人は1年生にもなります。
2 先週、召天された六日市のM・T姉のために祈りが為されました。
3 本日、柳井Cで洗礼を受けられるT兄のための祈りが為されました。
4 礼拝後、お煮しめ、フキ・タケノコ煮物、菜花の炒め物、鳥から揚げ
  白菜(高級品ですね!)の漬物、ミートローフ、冷やしぜんざい、
  「密猟者のスープ」(という名前のスープでした)、ちらしずし、フルーツでした。
5 徳山の礼拝に初めて来られた方、二度目の方など、大勢でイースターを祝いました。

今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。

4/  3 火曜日 15時 聖書の学び

4/  7 土曜日 13時 益田市小浜礼拝
        14時 益田教会礼拝
        19時 六日市礼拝
4/  8 日曜日   10時45分 徳山礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。


【マルコ福音書1618節】

 このマルコ福音書は、最古の福音書と言われています。主の十字架と復活後、最初に成立した福音書ということです。主の言動も必要最小限ですし、取り巻く人々のも然り、脚色無しの素の姿と思しきものが記されています。「福音を受けた人間はこう有るべきだ」という強い指針はなく、むしろ「いろいろある」という多様性を留めています。主の十字架を人々はどう受けたか。今日の聖書で、主の復活という福音に接する前ですが、婦人たちは「俯いている」のです。これまで、この婦人たちも復活の話を聞いていたにも関わらず、なのです。

 誰もが神さまの御業のために用いられています。この婦人たちも主の復活の証人として用いられていました。しかし主の十字架に心を動揺させられ、まことに主は死んだと思っていたのです。この時点でのご婦人たちには「後悔」の二文字のみがあったのです。墓石の封印の大きさを不安に思っています。「なぜ男性の弟子たちに働きかけなかったか」。「なぜもう少し大勢で来なかったか」。しかしこの時ご婦人たちは「動かずにはおられない」心でした。もう後悔したくなかったのです。封印の石を思いつつも、主の墓に向かいました。

 そこで驚かされた婦人たちです。「自分たちが主の復活の証人とさせられた」ことの驚きがこの婦人たちを覆うのです。墓石は無、神的存在を思わせる若者が居、「ガリラヤで会おう」のメッセージの取次を託されるのです。受けたこのご婦人たちは喜ぶか、否、恐れ、震え、正気を失い、誰にも何も言わなかったと聖書は語ります。これは、正直な人間の姿です。

 そして「誰にも何も言わなかった」とすれば、今日のキリスト教は有りません。福音書を記載したマルコも、使徒言行録のパウロも、私たち以前の先達もいません。つまり、このご婦人たちはやがて誰かに語り、今日の私たちに至るのです。当初の証人であるご婦人たちの姿こそ圧巻です。当初から、神さまや主は立派な人を用いなかったのです。一人ひとりの器を承知の上で、その人を御用のために使うのです。神さまは、この一週間、これからの日々、どのように私を用いられるでしょうか。そのことを考えると、喜ばしくなると思います。