2019年7月17日水曜日

7/13.14.15 礼拝とメダカの家

 7/14 防府Cの礼拝堂です。

  7/15 西日本豪雨の被災地の一つ、呉の安浦を訪問しました。
 豪雨を忘れないという気持ちで頂いた「蔵の中の鉢」です。メダカの家としました。
 被災者の方々は一年を経て、それぞれ歩み出しています。

7/13 柳井Cの礼拝堂です。

今週の教会、牧師日程は以下の通りです。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

7/17 水曜日 19時 六日市C礼拝

7/20 土曜日 15時 柳井C礼拝 藤井邦夫牧師
       16時 西教区常議員会 水原牧師
 
7/21 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝

7/23 火曜日 15時 徳山聖研

7/24 水曜日 19時 六日市C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


ルカ福音書 9章5162
私たちが生きる社会、或いは私たちの生そのものにも様々な問題が起こります。「道半ばでの事変」「強いられる」「乱される平穏」「他者からの拒絶」「自暴自棄」など、誰もがその歩みの道のりで体験したことかと思います。今お知り合いが、渦中にあるという方もおられるかもしれません。51-56節には、ヤコブとヨハネの兄弟、そしてサマリア人の村人たちが登場。彼らの言動に、私たちの人生の歩みと重なることがあるのです。

主は自身の十字架を控え「エルサレムへの決意(51)」を固められます。十字架は神の御心と受け止めつつも、「事変」を「強いられる」主なのです。二人の弟子がサマリア村に遣わされますが、村人にとってこの訪れは「乱される平穏」に他なりません。ユダヤとサマリアの複雑な関係性のゆえに「歓迎しなかった(53)」応対を受けた二人。彼らは、主がサマリア人の村に対して激怒しているであろうと決めつけ、「天から火を降らせる(55)」具体的には恐らく火を放つことを進言します。主は振り向いて(55)戒めます。

後半部分を詳しく述べると解説のようになります。ここで言われていることの要点は、57-58節、「枕する所がないほどに忙しく飛び回る主」は「必要とされている所に赴く」ことでしょう。59-62節、この二人は「まず」つまり「第一に」父の葬儀と家族への暇乞い」を優先させた。つまりこの二人は、己の思いや力のみで父の葬儀、家族への暇を告げようと思ったのです。この二人に求められていたのは言うまでもなく「主を第一」とすること。その中で「父の葬儀」「家族の今後」も良い道筋が備えられたはずだと思います。

 後半部分の要点は「最善を整えられる主の支えを信じる」ということでしょう。その主のひとみ、まなざしを51-56節は語っています。「エルサレムへの決意」とは「エルサレムを見つめる」という意味の言葉が使われています。「死地を見つめる」主は、行き詰まる二人の弟子にそのまなざしを注ぐ(55)」のです。主のまなざし、それは沈黙のうちに私たちの人生の先行きを支えるものですし、あなたは一人ではない、と語るものなのです。