2019年7月21日日曜日

7/21 礼拝と献花、メダカ

 7/21 防府Cの礼拝堂でした。
 雨が小やみにはなりましたが、ただ今の時間帯は外で激しく降っています。

7/15 東広島市の馬木というところです。
 一年前の様相のままです。

今週の教会、牧師日程は以下の通りです。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。


7/23 火曜日 15時 徳山聖研

7/24 水曜日 19時 六日市C礼拝

7/27 土曜日 15時 柳井C礼拝 
 
7/28 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝

7/23 火曜日 15時 徳山聖研 休み

7/24 水曜日 19時 六日市C礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


ルカ福音書 102537
 「良きサマリア人の話」が与えられています。「あなたも行って同じようにしなさい(37)」の言葉には常に考え込みます。「どこまで自分に出来るだろうか」と。それで、「サマリア人コンプレックス(聖書の勧めに従って善を行う気持ちと、行い得ない自身の現状の落差を嘆く思い)」、「良きサマリア人法」(緊急時の救助活動の不成功は、責任を問われない)など、この物語から派生した慣用句が知られています。内容の解説は短く記します。

 「律法の専門家」が主を試す目的で、律法の真髄を問う。主は真髄を「神を愛し、隣人を愛する」とします。申し分のない答えです。しかし専門家は「隣人」の特定を問います。ここで主が答えたならば、その主の答えを断罪するつもりだったのでしょう。しかし主は「隣人とは誰か」「何か」を専門家に考えさせる目的でこの例え話を為します。話の皮切りには、強盗に襲われた旅人が登場します。人生の過程で、不意の一大事に襲われた旅人は、一体誰を表すのか。結論は出さずに、主のたとえ話の先を読んで行きましょう。

 祭司とレビ人は、いずれも宗教者です。「レビ記21章」に従って彼らも、助けるか助けないかを天秤に掛けたのでしょう。「道の向こうを通る(31.32)」の表現がその心情を語ります。決して責められません。そしてサマリア人、彼は自分の持てるものを用いて、旅人を助けます。「祭司のようであってはならない。サマリア人として生きることが求められている」さて、果たして聖書の結論は左記のようなことでしょうか。「善の勧め」は確かにその通りで、決して否定できません。ただその前提を私たちはしっかりと覚えたいのです。

 旅人に焦点を当てましょう。旅人は「私たち/主」を表すと思います。その1 私たちの誰もが、かつてはこの旅人だったと思います。社会(職場、家庭、環境)の荒波の中で傷つき、打ちのめされた私たちを「サマリア人なる主」は助け、宿屋という教会に伴って下さいました。その2 だからこそ、傷つき、打ちのめされている旅人の中に主を見つつ、この世の中で身近な一人ひとりに祈りと働きを向けたい。「良きあなたの話」を記したい。