昨日から、周南市徳山は9月上旬を思わせる陽気でした。
本日も、秋らしい天気の中で、礼拝と愛さんが守られました。
愛さんは、カレー粉から作ったというカレーライス。
何か懐かしい味わいでした。
礼拝後は、来週から始まるアドベント(クリスマス前の待降節)
のための、礼拝堂内外の整備が行われました。
礼拝堂には、「聖霊の風」をイメージした布が登場。
礼拝堂の中をぐるりと取り囲んでいます。
受付には、イエスさまの降誕の様子を物語る、降誕人形劇(Nativity)。
クリスマス・ツリーも玄関でお出迎えです。
一方、今まで玄関にいたアドベント・キャンドルは、礼拝堂に移動しました。
これから一週間ごとに、ロウソクが一本ずつ灯ります。
11/30.12/7.12/14.12/21に灯ります。
玄関ではリースが、礼拝堂壁面にはイルミネーションが準備されました。
あと数時間後、どんなになるでしょうか。
来週も礼拝は、11/30(日)10:45~行われます。
どなたでもご自由にお集まり頂けます。
本日の礼拝メッセの要旨です。
【説教要旨】 マタイによる福音書25章31-46節
「善行は良い結果を、悪行は悪い結果を伴う」とは、よく知られた言葉です。今日の聖書もその類型に倣いますが、最終的にイエスさまはその類型を突破されました。聖書はいわゆる「最後の審判」の記述です。いずれ、左右の裁きの座の前に立たされる私たちです。元々は、苦労の中で善を行う弟子たちを励まし、無為である敵対者たちへの裁きという意味がありました。
とは言え、本当の意味で弟子たちは善であったか。やがて弟子たちは、善側の人々と真反対になってしまいます。人は、善を為し得る時も、為し得ない時もあるものなのです。今日の聖書と自身を照らし合わせて読めば、私たちは山羊の側となってしまうのでしょう。しかしイエスさまは、み言葉で私たちを絶望させるか。み言葉から絶望のみを受け取ってはなりません。
確かに聖書には、微に入り細に至ることが記載されている。しかし、正しい人も無為の人も、自らの行いが選びの指針とは気付きません。神の選びは人の思いを越えるのです。自らを山羊や羊だと、今のうちから決めてしまうのは宜しくないことです。そもそも十字架上で犯罪者の一人に主は何を語るか。主に向かう心ゆえに、天国を約された主の言葉を思いだしたいのです。