献花もそれに合う形でした。
ユリはキリスト教、白菊は日本。聖餐式を伴う礼拝でした。
こちらは、益田教会の会員の作品です。
「トロッケンゲビンデ」というものです。
なんと、全て穀物で出来ている風景作品なのです。
こちらも同上。これは、松の実を始めとする木の実の作品です。
本日も礼拝後、おにぎりと味噌汁の愛餐でした。
来週も礼拝は、11/9(日)10:45~行われます。
礼拝の中で、子ども祝福式が行われます。
どなたでもどうぞご自由にお越しください。
礼拝メッセージの要旨です。
【説教要旨】 マタイによる福音書5章1-12節
本日は召天者記念礼拝です。私たちは、懐かしい方々を前に見ています。これらの方々はかつて私たちを守り、支えた方々です。年長の肉親はもとより、年少でも動物でも、私たちに純粋さや信頼を教えてくれました。年月の移ろいと共にこれらの方々も年齢を重ね、召されました。既に何かは為し得なくとも「共に居ること」が恵みでした。本日もみ言葉を聴きましょう。
聖書は「幸いの教え」です。「薄い信仰」「喪失」「感情を溜める」「涙」「お人よし」「搾取」「係争中」「非難」の中にある人々に主は幸いを語るのです。主のみ力ならば、これらの方々は、直ぐにその反対の方向に替え得たでしょう。「強い信仰」「蘇生」を始めとする現実的な豊かさ、丈夫さ、安心などが与えられたはずです。けれど主は不思議な力を行使しないのです。
それで、なぜ「幸い」か。2つあります。1つ目。まず良いものが与えられる、の約束です。約束や希望を持つ人生は、張り合いがあります。もっともこの後、偉人、賢人、富める者が増加したという記載はない。実際の所人々の生活や信条は変わらなかったでしょう。変わったこととは、主が共にあるという事柄です。それこそが2つ目の幸いです。「辛い」という字は、十字架の上に立つことです。「幸い」は、自身の十字架と共に主の十字架もある事なのです。
【説教要旨】 マタイによる福音書5章1-12節
本日は召天者記念礼拝です。私たちは、懐かしい方々を前に見ています。これらの方々はかつて私たちを守り、支えた方々です。年長の肉親はもとより、年少でも動物でも、私たちに純粋さや信頼を教えてくれました。年月の移ろいと共にこれらの方々も年齢を重ね、召されました。既に何かは為し得なくとも「共に居ること」が恵みでした。本日もみ言葉を聴きましょう。
聖書は「幸いの教え」です。「薄い信仰」「喪失」「感情を溜める」「涙」「お人よし」「搾取」「係争中」「非難」の中にある人々に主は幸いを語るのです。主のみ力ならば、これらの方々は、直ぐにその反対の方向に替え得たでしょう。「強い信仰」「蘇生」を始めとする現実的な豊かさ、丈夫さ、安心などが与えられたはずです。けれど主は不思議な力を行使しないのです。
それで、なぜ「幸い」か。2つあります。1つ目。まず良いものが与えられる、の約束です。約束や希望を持つ人生は、張り合いがあります。もっともこの後、偉人、賢人、富める者が増加したという記載はない。実際の所人々の生活や信条は変わらなかったでしょう。変わったこととは、主が共にあるという事柄です。それこそが2つ目の幸いです。「辛い」という字は、十字架の上に立つことです。「幸い」は、自身の十字架と共に主の十字架もある事なのです。