今日は教会で、教会員が主催する音楽教室のコンサートが行われました。
始まりには、子どもたちの合唱。
この後、一人のこどもが恥ずかしがって逃亡!
本日も礼拝が守られ、礼拝後にはおにぎりとお味噌汁、玉子サラダ、フルーツサラダの愛さんが行われました。
教会の全ての集会はどなたでもおこし頂けます。
来週も礼拝は、3/22(日)10:45~行われます。
本日の メッセージです。
ルターはこの3章16節を「小聖書」と呼びます。特に16節以前を読むと、ルターの意図が分かります。13節「モーセが荒野で蛇を上げた」。蛇は、旧約の伝統では忌避されつつも好まれるという二重性があります。即ち蛇は、害毒と癒しの象徴。主は蛇の高挙と自身の十字架を同じに扱います。即ち「十字架刑」へのご自身の理解は、傷ついた人々への癒しの意味なのです。
何といっても、16節の言葉は真に有名です。ただ、より深く意味を知る鍵言葉は「滅び」。神が、み子を与えたその理由は「滅び」を防止するためです。「滅び」とは聖書頻出の言葉です。ルカ15章。羊飼いは羊を,婦人は銀貨を、父親は息子を愛します。だが羊も銀貨も息子も主人を「離れ」ます。「滅び」なのです。言葉は強烈だが、あるべき場所からの喪失なのです。
人の本質的な居場所は神のみ許です。だが人は地上の生涯で「滅びの道」を行くものです。それは「荒野の蛇」が証ししています。出エジプト時、ユダヤの人々の空腹を見て神はマナを与えます。人々は当初満足しますが、飽きて不平不満を言います。神は悲しみ怒り、炎の蛇を下すのです。けれど神は「炎の蛇」は送りません。代わりにみ子を送った。まさに「小聖書」です。