教会の玄関前には、樹木が植わっています。
今ちょうど新緑の頃です。下に咲いている花たちと色合いが映えています。
本日も礼拝が守られ、その後愛さんが行われました
「タケノコ尽くし」の愛さんでした。
来週も礼拝は、それぞれの日程に従って行われます。
来週も礼拝は、4/26(日)に行われます。
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
4/23(木)には、
益田14:00~
六日市19:30~ です。いずれの礼拝も、どなたでもお越しいただけます。
本日の説教要旨です。
【ヨハネによる福音書21章1-14節】
自然の景観物の名称は、時代状況で変化します。ユダヤ北部には湖があります。旧約時代は、ユダヤの伝統的な楽器「琴」を意味する「キネレト湖」と呼ばれ、主の時代には「ガリラヤ湖」、以降は「ティベリアス湖」となります。皇帝の名前です。ユダヤの人々には、民族の良さを示す湖が、皇帝の名を冠する湖へと替えられてしまったのです。
また、主の弟子ペトロも、意図せずの変化を遂げます。自身を取り囲む状況の変化の中で、ペトロ自身の保身は叶いましたが、志は挫けた。主の十字架以後、主の思いを継いでの宣教者ではなく、市井に身を隠し、元の商売に精を出すペトロです。漁に出る物の、不漁でした。復活の主が彼に近づくも、その日の糧を得ることに精一杯です。
イエスさまは「網を打て」と言われます。これは漁師だった弟子たちが、初めて聞いた主の言葉でした。夢破れたペトロたちに、主は再度この言葉を語ります。反応するペトロです。湖に飛び込み、自身を恥じます。時は3月、湖水は冷たい。陸には炭火がありました。主のご配慮です。かつてペトロは主を否認した際、大祭司邸で炭火に当たります。今またペトロは湖畔で暖気を得ます。まことの暖かみがペトロを覆います。
捕れた魚は153匹でした。ユダヤには「ゲマトリア」という思想があり、数に意味を見出す学問です。それによると、「153」は「神の子」を表すのです。主は魚を取る事で、神の子たちを再捕獲するという解釈が成り立ちます。加えて、この聖書での強調点は、変わらずに愛する主の心です。変わりゆく湖の名称や人の心の変遷の中、主は変わりません。この後主はペトロに愛を問います。幾度にも及ぶ問いは執拗さすら感じさせますが、それ以前に彼の冷えた心を暖める主です。変わらぬ主の姿に感謝です。