額の「トロッケンゲビンデ」(木の実や草などを用いる芸術品)のテーマは、
「墓の中の天使」だそうです。イースターですね。
益田教会の礼拝堂は、この時間、日差しが十字架を形作っています。
卵はイースターの慣習で、徳山からのものです。
ついで六日市礼拝のイースター。
こちらも徳山からの卵です。
ゆで卵をイースターに、という慣例が続きますね。
さて、本日の徳山礼拝の献花でした。
今日も礼拝は守られ、愛さんはピースご飯、エソの澄まし汁を頂きました。
来週も礼拝は、4/19(日)に行われます。
どうぞお越しください。
本日の説教要旨です。
教会には幾つかの伝承があります。聖書理解を深めるための、先人たちが考案したものです。マグダラのマリアに関する教会行事上の伝承は、イースターエッグの元祖ということです。時の皇帝に紅く染めた卵を献呈し、イエスさまの復活を説明した、という機知溢れるものです。ところが聖書は「七つの悪霊」支配下にあった彼女を語ります。
しかし「七つの悪霊」の詳細については分かりません。複合的な疾病を癒されたのが彼女でした。今日の聖書では、復活の主はまず彼女に会うのです。しかし人々は「信じない」。人々の心持ちは察して余りあります。主への面目無さ。死者の復活の否定、そして証言者がマリアであるということ。それらが加味されて「信じない」状態なのです。
やがて主は「信じない」人々に自身の復活を示されます。「不信仰と頑なな心を叱る」主。叱る位なら当初から自身で示せばよいと私は当初思いました。証言者はマリア、当時女性の証言は軽き物と看做されます。マリアを証言者として用いることは、証言その物が非受容の可能性があるということです。それでもマリアを用いた主の心は、エルサレム入城時にロバの子を用いたものと重なるのです。主は、どのようなものでも必要とされます。