献花だけ撮るのでなく、献花と十字架双方を撮りました。
本日も、蒸し暑いうす曇りの天候の中、礼拝が行われました。
「マルタとマリア」の聖書箇所でした。
礼拝後には冷やしうどんとおにぎりの愛さんを頂きました。
来週も、礼拝は以下の日程で行われます。
聖書の学びも以下の日程です。
いずれの集会も、どなたさまもご自由にいらして頂けます。
7/26(火)徳山C聖書の学び
7/28(木)には、
益田市小浜にての 14:00~ 礼拝、
六日市 19:30~ です。
7/31(日)徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
☧聖書からのあなたへのメッセージ☧
【ルカ福音書10章38-42節】
主がマルタに語られた「マリアの良い選択」とは何でしょうか。「み言葉を聴くことが第一で、台所奉仕は二番目です
よ」と読まれてきましたが、果たして台所奉仕を二番目とすることは主の意図することでしょうか。み言葉を聴くことも、互いにもてなしあうことも、教会では
双方が大切。双方が大切というなら、なぜ主は「マリアは良い方を選んだ」と言われるのか。マリアが選んだ良い方とは何かを聖書から聴くと、恵みが浮かび上
がるのです。
聖書で主はみ言葉を語っています。聞き入るマリアです。一方でマルタ「色々のもてなし」=「多くの奉仕」をしてい
ます。その気持ちは己の力量を忘れさせ手一杯になってしまいます。傍を見ると無為なる妹マリアです。「私だけもてなし」させていると不満なのです。マルタ
とマリアとを比べてしまいますと、聴くことか、持成しか、の選択になってしまいますね。
思い切って「マルタとマリア」という見方を捨てて、「主とマルタ」「主とマリア」とすると聖書が見えてきます。結論から言えば「必要なこと」とは「もてなし」です。「誰の持成しか」
が大事なのです。実はこの話に持成す人は二名います。一人はマルタ、そしてもう一人は主なのです。主はみ言葉の奉仕をし、マリアは主の奉仕を受容します。
一方、マルタは主の奉仕よりも、自分の台所奉仕を重要視するのです。主の奉仕に思いが至らない。マリアが選んだ良い方とは主の奉仕を受容したことなので
す。マルタは自身の業にこだわって主を受容しないのです。