2017年4月16日日曜日

4/16 イースター礼拝と献花と海

 4/15 益田小浜、益田元町、六日市ではイースター礼拝が行われました。
 写真は益田小浜海岸です。

 4/16 徳山でイースター礼拝が行われました。
 桃の花?でしょうか。

こちらは礼拝堂の献花です。ルターのバラです。

本日は礼拝後、徳山で持ち寄り愛さんが行われました。
礼拝の中では洗礼式も行われました。
洗礼式の写真は、牧師ですので撮りそびれました。

今週、来週共に礼拝、集会は以下の日程で行われます。

4/18(火) 15:00 徳山 聖書を学ぶ会。



4/20(木)13:00 益田 小浜礼拝
      14:00 益田 元町礼拝
      19:30 六日市礼拝

4/22(土)11:00 奈良にて、会員納骨式

4/23(日)10:45 徳山 礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。

本日の礼拝メッセージは以下の通りです。



【マタイ福音書281-10節】
 「復活祭」は主の復活を覚える時です。主に「新しい命」が与えられた。これは文字通りの命。その主が私たちに先立ち弟子たちに「新しい命」を与えた。これは「命」そのものでなく、やがての時には「天国への切符」という意味になりますし、この世で生きる時には「再チャレンジの心」と言い換えることが出来ます。「新しい命」は、私たちにも上記の意味です。

 天使は婦人たち「弟子たちにガリラヤに行けと伝えよ」と言付けます。「ガリラヤ」とは、この時どこかに隠れている弟子たちにどのような意味を持つ場所でしょうか。その意味を婦人たちも考えたことでしょう。考えつつ帰路を歩む婦人たちに、復活の主が現れ「おはよう」と言われます。もう少し気の利いた挨拶は無かったのか、否、主にとって万感の言葉だったでしょう。復活は予告しておられたこととは言え、想像を絶する苦しみを受ける主をマタイ福音書は語ります。婦人たちはそんな主を遠目で見ていました。「復活などあり得ない」と思っていた婦人たちに「死線を越えた」ことを示されたのです。ちなみに「おはよう」は、日本語ですとごく一般的な挨拶ですが、原語では「会えて嬉しいのだ」という意の言葉です。

 「ガリラヤに行け」言われるまでもなく、弟子たちはこの後ガリラヤに帰る心持ちでした。帰って何をするかというと、元職に就く漁師たち、漁で養われる残りの7人の姿をヨハネ福音書は描いています。「足を洗って堅気に戻った」弟子たちです。しかし主は「ガリラヤに行け」に「足を洗って堅気に戻れ」という意味を含めません。「主と出会った」原点に立ち返れの勧めです。十字架直前の不作為や不従順を赦す。再度主の弟子として歩みだせとの意味です。

主と再会しなければ、弟子たちは負い目を抱えつつ生きる所でした。負い目を抱え生きる、その辛さは私たちも知っています。主は弟子たちの負い目を軽くするのです。マタイ福には「疲れた者…」の言葉があります。その言葉を言われた主は、「来る」のを待つのでなく、主から近づき、弟子たちの重荷を担うのです。弟子たちへの「新しい命」です。