礼拝前のひと時、海を見ていいなと思わされます。
こちらは6/4の礼拝時に捧げられた、あるお宅の「どうだんつつじ」。
一週間たっても生き生きとしています。
横の聖書から、滋養を受け取っているのでしょうか。
こちらは本日6/11の徳山C献花。アジサイが一輪。これも素敵です。
本日は、ご多用の方が多くおられましたが、礼拝はそれでも大勢で守られました。
礼拝後には洗礼準備会、転入式準備会が開かれ、再来週の洗礼式、転入式への備えがなされました。
礼拝後はちらし寿司とコンソメスープ?という愛さんでした。
今週、来週の教会行事は以下の通りとなります。
6/13(火) 15:00 徳山 聖書を学ぶ会。
6/18(日)10:30 シオン教会 六日市合同礼拝
場所 六日市温泉ゆらら 会議研修室
説教 市原正幸牧師(徳山教会元牧師)
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【マタイ福音書28章11節-20節】
本日は「三位一体主日」です。この「三位一体」とはキリスト教の教えの一つです。内容は「神さまは父として、子として、聖霊として私たちを守る」ということ。伝統的な表現を用いれば「神さまは上からも、そばにも、心の内にもいて下さる」ということです。ところが三位一体の上記の理解に至るまでは、原始~初代教会の中で多くの議論がなされました。その時代の教会指導者たちも思う所があったのでしょう。議論だけではなく、三拍子の讃美歌を多く作ることで「三位一体」の神さまを知らせようと考えたのでした。
本日の聖書は、末尾の「父と子と聖霊」の三位一体の神さまの名が登場することから選ばれています。聖書の脈絡としては、弟子たちに復活の主が「ガリラヤで会おう」と言付けた復活祭の日課の直後です。ずいぶんと怪しげな陰謀が記載されています。宗教者たちが、浄財を悪しき目的に流用します。主のご遺体不在を(ご遺体の不在は当然ですが)、弟子たちが盗んだことにするのです。マタイ福音書執筆の80年頃には浸透した噂です。
その噂に、弟子たち自身が動揺させられます。噂ほど嫌なものはありませんね。しかし復活の主は、そういう弟子たちに、洗礼命令を託し、「共にいる」と告げるのです。洗礼とは一体、どういうものでしょうか。「神さまやイエスさま、聖霊なる神様が私たちのそばにいる」ということです。洗礼を受けていなくとも、神さまは共に居られますが、洗礼で私たちの心がより確かになります。主は、弟子たちや人々に「確かな心、大丈夫で安心な心で世の中を渡って欲しい」という心から、洗礼を命令し、弟子たちに託すのです。
農耕民族の心に刻まれているのは二拍子のリズムです。人の通常も二拍子(呼吸、歩行)です。逆に三拍子のリズムは、スキップやダンスなど、特別の時です。二拍子の生を送る私たちが、三拍子のリズムに触れる。それが教会の三位一体の教え、また礼拝なのです。本日、徳山、益田、六日市の礼拝は全て三拍子の讃美歌が選ばれています。神さまは、私たちを元気づけ、この世で生き生きと生きる力を下さる、素晴らしいお方です。