7/9 宇部のルーテル教会の聖壇です。
宇部教会には新しい十字架が建ちあがりました。
7/15 益田市小浜町の礼拝堂です。
7/16 徳山の外のゴーヤ
そして礼拝堂。本日は「野の草を見よ」ということで、庭の草木が捧げられました。
先週は宇部で、今週は益田、六日市、徳山で礼拝を行いました。
徳山礼拝後には、卵トマトの炒め物、胡瓜の浅漬け、梅干しおにぎりの愛さんでした。
今週、来週共に礼拝、集会は以下の日程で行われます。
7/18(火) 15:00 徳山 聖書を学ぶ会。
7/22 (土)13:00 益田 小浜礼拝
14:00 益田 元町礼拝
19:30 六日市礼拝
7/23(日)10:45 徳山 礼拝
いづれの礼拝、集会ともにどなたでもご自由にお集まりいただけます。
本日の礼拝メッセージは以下の通りです。
【マタイ福音書10章16節-33節】
「狼の群れに羊を送り込む」とは、主の弟子たちや、原始の教会の人々を取り巻く環境の比ゆです。弟子たちに迫る出来事を伝える主です。迫害は私たちには縁はありません。しかし「狼の群れに送り込まれる」出来事や迫害を、「それぞれの苦難」と読み替えたときに、この聖書は私たちに近しいものとなります。これは、私たちへの主が語る言葉なのです。
まず「賢く、素直になりなさい」をどう受け止めれば良いか。「なれません」という言葉は喉の奥に引っ込めたい。「賢い」と言う言葉は「考える」、「素直」という言葉は「純粋、そのまま」とも訳せる言葉なのです。ここで言われることは「諸事に直面したとき、その意味を考え(蛇の賢さ)、勘繰らずに、そのまま受け入れる(鳩の素直さ)」ということなのです。
地方法院への連行、鞭打ちや証言などは全て、私たちが出会うことになる苦難と言い換え得ます。苦難に出会う時にどうなるか。19.20節の言葉に信頼したい「父の霊」=「聖霊」「神さまご自身」がその折の言葉を語ると言うのです。聖書のような「極限状況」はないでしょうが、私たちが考える「想定外のこと」が起きた時にも「大丈夫」なのだ、何があっても主は助けて下さるのだ、ということが言われます。だからこそ、諸事困難に直面したときに、安易に諦めるのでなく、「考え(蛇の賢さ)、受け止める(鳩の素直さ)」勧めなのです。
結びで主は「弟子は師の如くで十分」と言われますが、実際弟子たちはこの時もこれ以後も、主の如くにはなれませんでした。むしろ時に「狼」になり、立場の弱い人々のことを顧みなかった(使徒言行録)ということがありました。けれど弟子たちは、それぞれに主の如くという向上心は持っていたのです。一つの指標(目標)としてこの言葉を受けつつ、「考え、受け止め」たい。羊でなくなってしまう時もある私たちを、主は導きます。