2017年12月3日日曜日

12/3 海と献花とクリスマス、動画

  12/2 礼拝は益田市小浜でも行われました。
 先週の写真が使い回されていますが、すみません。

  本日、礼拝が行われました。聖壇は紫、献花は情熱のバラ。
  礼拝後、教会員の指導する音楽教室のコンサートが行われました。
 こちらはラヴィアンローズの方々。
  こちらはピアノの独奏の男性。
こちらは教会員のチェロとピアノの協奏。
 お嬢様の結婚式で弾かれた曲が再度披露されました。
 そして。

 今年のクリスマスイルミネーションです。

今週、聖書の学びは行われます。
今週、来週ともに以下の日程で集会、礼拝が行われます。


12/5 (火) 徳山 聖書の学び 15時~16時

12/9 (土) 13:00 益田 小浜礼拝
        14:00 益田 元町礼拝
        19:30 六日市礼拝

12/10(日)10:45 徳山 礼拝 


いづれの礼拝、集会ともにどなたでもご自由にお集まりいただけます。

本日の礼拝メッセージは以下の通りです。



マルコ福音書111-11
 教会の暦は、社会の暦と違い一カ月早く新年を迎えます。「今年」は、201712月から来年11月末までです。そして今年、私たちはマルコ福音書を通してみ言葉を頂きます。この福音書の特徴の一つは、クリスマス物語が無いことです。主の記述に関して言えば、成長した主が突如、荒野で活動を始められるのです。だからと言って「クリスマス」の出来事、神の子としての主が地上に誕生されたことに無関心ではありません。今日の聖書にも、主のクリスマスの意義は表されています。その鍵の言葉は「ベタニア」という場所なのです。

 主が都エルサレムに入城なさる時、ベトファゲと「ベタニア」村の傍に関心を寄せられます。ベトファゲの意味は「イチジクの村」、ベタニアは「悲しむ者の村」。マルコ福音書では、この村はやがて「重い皮膚病の人が住んでいる」場所として説明がなされます。当時の人々が寄り付こうとしなかったベタニア村に、主は心を寄せられる。これが、クリスマスの一つの象徴的出来事です。つまり主は、神でありつつ人に関心を寄せて下さるのです。

 クリスマスは神の御子の誕生ですし、聖書の福音書はその神の御子の活動を記載したものです。言動については確かに世の耳目を引きましたが、姿形については華美を装いませんでした。むしろ主は、華美とは正反対の所に生きざるを得ない一人ひとりと共にあった。人々はそういう主に、世の変革者、革命の旗手としての役割を求め、大歓声を上げますが、当の主のお心は如何なものだったでしょうか。主の目線は「ロバ」と共にあったのです。つまり、低い所に押し込められて生きざるを得ない一人ひとりと共にあるということです。

 そして今日の結びがこの福音書の真骨頂です。ロバの子をお求めになった主は、エルサレム神殿見回り後に再び、ベタニア村へと帰られます。これはマルコ福音書の独自記事です。土地柄、ベタニア村にはエルサレムからの追放者が多く住んでいたと言われます。主はそのベタニア村にお心を寄せられたのです。クリスマスの出来事とは、まさに神が一人ひとりに共にあることです。主は今日の聖書でも、そのことをお示しになったのです。