こちらは5/27の礼拝献花。
本日誕生日を迎えられる会員が活けられた花です。
戻って5/20の献花その2.
こちらはゴーヤ。徳山Cの一階、牧師室をグリーンカーテンで覆う予定です。
最後は海。5/24の益田小浜の海は穏やかで透明な水を確認できました。
三位一体主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。
1 三位一体主日に併せて、本日の礼拝の讃美歌は全て「三拍子」の歌でした。
2 自宅療養をされているK兄のため、
本日も仕事の中に置かれているS姉、Y姉、F姉を覚えた祈りがささげられました。
3 礼拝後には味噌汁、そして漬物を頂きました。
極限まで煮込まれた白菜が、いい味をかもし出していました。
白菜が苦手な子どもたちも、もりもり食べていました。
4 今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。
5/29 火曜日 15時 聖書の学び
6/ 2 土曜日 13時 益田市小浜礼拝
14時 益田教会礼拝
19時 六日市礼拝
6/ 4 日曜日 10時45分 徳山礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。
【ヨハネ福音書3章1-12節】
宗教改革の原動力は、「教会のあるべき姿」を問い続けたルターの信仰でした。今日の主日名「三位一体」も、教会が自身の方向性を模索する過程で定まった教理です。「三位一体」の教えと関係あるのが、音楽の五線譜の冒頭記号「C」です。中世、五線譜の概念が生まれたヨーロッパでは、「三拍子」の楽譜冒頭に「○」と打つ、その意は「完全拍子」でした。そして「二拍子、四拍子」の冒頭には「C」、これはアルファベットのCではなく、元来は半円でした。「三拍子の音楽は三位一体を表す崇高な曲、それ以外は世俗音曲」との理解が為されていたのです。三拍子の讃美歌は、父、子、聖霊の神さまを表すという理解だったのです。
「三位一体」の教えは複雑です。しかしその示唆することは単純で、先ほどの「音楽」に例えれば、神さまは私たちを「三拍子のリズムに誘う」=力づけるということになります。聖書のニコデモがまさにそうでした。ファリサイ派の議員(高位宗教者です)としての肩書が記載されています。当時は、神殿再建のための借財を負わされていた高位宗教者、主のもとをわざわざ夜訪問します。肩書にそぐわない心持ちを抱いていたのです。冒頭で主を誉めますが、即座に主にその心根を見られます。「新しく生まれること」です。自身の働きについて思う所は多くあるものの、中々変えられないもどかしさの中ニコデモは主を訪ねたのです。
主は「霊」が「どこから来てどこへ行くのか」と言われます。聖霊のお働きの特徴が記載されています。主はニコデモの内面の葛藤をご存じですし、ニコデモがその葛藤を今まで誰にも分ち合おうとしなかったことをもご存じでした。意を決して夜訪れたニコデモに、「神さまのみ霊は、今の祈りの課題をいつ、どのような形で解決なさるかは分からないが、必ず良い方向に導く」と約束されたのです。ファリサイ派の彼にとって、望外の恵みの言葉に他なりません。
行き詰まりの中を歩いていたニコデモには、一筋の光明でした。どれだけのことが為せたかという団体に属していたニコデモの喜びは、やがて行動を伴います。教会とは、私たちこの世の旅人の休み場であり、ここから私たちは出かけて行く。加護は確かに私たちと共に。