2019年8月2日金曜日

7/27.28.30 防府と徳山と草刈り

  7/28 防府教会の礼拝堂です。
 8/1には敷地内草刈りが行われました。
 7/30 徳山教会の敷地内草刈りが行われました。
7/28 徳山教会の礼拝堂です。

 来週の教会、牧師日程は以下の通りです。

礼拝時間の変更があります。どうぞご注意ください。

8/6 火曜日 15時 徳山聖研 休み

8/7 水曜日 19時 六日市C礼拝

8/10 土曜日 15時 柳井C礼拝 
 
8/11 日曜日 10時45分 徳山C礼拝
       15時半 防府C礼拝

8/12 火曜日 15時 徳山聖研 休み

8/13 水曜日 19時 六日市C礼拝 休み

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。


ルカ福音書 103842
「マルタとマリア」の話が与えられています。この話は「信仰と奉仕」を天秤にかける話ではありません。「信仰」の大切さは言うまでもありませんが、「愛が無ければ(コリント書13)」という言葉もあるように、奉仕もまた大切です。実際、教会から奉仕を欠いたら立ち行かなくなります。一方で「奉仕」に集中しつつも「信仰」を欠けば、自己満足かもしれません。「信仰と奉仕」とは、「車の両輪」なのです。では、この話は何を私たちに語るか。

背景を見れば「み言葉を聴くこと」が主要なテーマですし、「招くこと」も問われていると思います。「マルタとマリアの姉妹」は「ある村(38)」に居たと記されます。この二人の姉妹は、ヨハネ福音書によれば「ベタニア」という村に住んでいました。「悲しみの家」という意味の名の村です。マルコ福音書ではこの村に「重い皮膚病の人が住んでいた」という記述があります。時代的な制約の中にある箇所です。「主を家に迎え入れた(38)」マルタ、「み言葉に聞き入る(39)」マリア。神さまの優しさに飢えていたかもしれません。

まさか単なる世間話ではないでしょう。主の時代、一般的に「女性がみ言葉を聴く」ことはあり得ないこととされていました。働きの分担が決められていたのです。しかし人の心には、神さまの思いを尋ねたい気持ちは沸き起こります。「神義論(神さまの義しさ)」を求める思いがマリアの中にあったと察します。一方でマルタ。彼女も「もてなし(ディアコニア)」を、それこそ「埃まみれ」になって行っていたことと思います。これは誠心誠意、彼女の真心だったのですが、「思い通りにならないマリア」にいら立ってしまうのです。

マルタは懸命に働いていました。しかしその懸命さがマリアの傾聴を妨げたときに、主が語られたのです。マルタの台所の奉仕を責めず、むしろ「必要なことは一つ」と言われます。神さまのことを求めるマリアを妨げず、共々にみ言葉を聴こうとの「招き」でありましょう。主の眼差しには、マルタもマリアも決して失われてはならない者でした。み言葉を聴くことを中心にしつつ、マルタとマリアが同居する「信仰と奉仕」の人生を送りたい。