来週の説教題です。
これは、徳山チャペルのものとなります。
お一人の方が、毎週、ご奉仕をしてくださいます。
礼拝後に撮影したものです。
今週、来週の予定は以下の通りです。
どちらの集会・礼拝についても、お気軽にお越し下さい。
7/21 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
7/22 木曜日 牧師 兵庫県出張
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
■ マルコによる福音書6:30~34,53~56 (新共同訳聖書、新約72ページ)
■ 説教 「夜も昼も駆ける」
「旅には杖一本の他、何も持ってはならない」と命じられた伝道旅行が終わりました。物は持たなくとも、託された力を用いた弟子たちは、懸命に働いたのでしょう。怠惰であることは、路頭に迷うことに直結します。一人がくじけたときには、もう一人が支えたのでしょう。主のもとに帰り着いたとき、主は弟子たちに休息が必要であると見られました。ところが、主と共に他所に行く弟子たちの行先に、「多くの人々が駆け付け」先回りをしたのです
弟子たちを「追い駆ける」人々の姿に、弟子たちの懸命な奮闘のあとを見ることが出来ます。30-34節で私たちは、主の二つの思いを知ることができます。「懸命に働き、疲れる人々に主は、休息を命じられる」こと。そして「熱心に求める人々の、痛む心の内訳を主はご存じ」なこと。これらは、折々の私たちの姿に該当すると言えます。そもそも私たちは週ごとに、どちらかの心、或いは双方の心を抱きつつ、教会の門をくぐり着座すると言えます。
確かに折々の私たちは「病み、痛む」のかもしれません。そして今日の聖書に登場する「人々」には、共通点があります。「駆ける」ことです。人々はそれぞれ、他者のために考え、働くものだったのです。この「人々」の背景は、30節以降は「飼い主のいない羊」、対象は「病人」と明記されています。「駆ける」とは、疾走感溢れる言葉です。動作はともかくも、週日の私たちの姿は「気持ちを四方八方に向け、駆ける」ようなもの、であると思えます。
ところで、弟子たちが日課冒頭では「使徒たち」と記されます。「遣わされた者たち」という意味の言葉です。「弟子たち」は「学ぶ人」です。神の言葉を学んだ私たちは、この世に遣わされるのです。学んだ内容は、今日の箇所で言えば「疲れた時には休もう」ですし、「痛む心の内訳を、主は存じあげて下さる」ことです。私たちも人々のように、「夜も昼も駆ける」者なのでしょう。大いに、用いられようではありませんか。そして大いに休みましょう。