こちらは、徳山チャペルの玄関口にある「ブナの木」と、根元には「菊の花」。
ブナの木は時期を迎えて枯葉の装い、菊はなぜか、盛りを迎えています。
赤(宗教改革)→白(全聖徒/召天者礼拝)→となり、今週は緑です。
11/13(土)柳井では子ども祝福礼拝が行われました。祝福のお土産に、見えにくいのですが、その下にはキャンディレイがあります。
六日市の礼拝は、明日は行われます。
今週、来週の予定は下記のとおりです。
15時30分 防府チャペル礼拝
11/23 火・休 14時 牧師 出張
11/24 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
11/27 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の説教要旨は以下の通りとなります。
■ 説教 「今日私は、リンゴの木を植える」
奈良の巨大な像建立の一因は、「感染症(天然痘)」の鎮静祈願とも言います。社会不安が広がると、人々は「偉大なもの」をより覚えるのでしょう。2000年前のユダヤには、「神殿」がありました。「建てるのに46年もかかった(ヨハネ2)」という触れ込みの建造物に、弟子たちも驚いています(1節)。ところが「共感」の主イエスが、ここでは素っ気ない態度どころか、この場所では危険極まりない「この建物はやがて崩れる(2)」と言われます。
この神殿は通称「ヘロデ神殿」。「下剋上」で、ローマの力を借りて王になったヘロデは、人々の不安を和らげるためにこの建物を建てたのです。しかし財源は国庫でなくユダヤ教宗教者たちの負担。宗教者たちはその負担を、人々から取り立てたことになるのです。確かに建物の外見は立派でも、原資は血税すなわちユダヤの人々の血と涙を主はご承知だったのです。「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る(サム16:7)」のです。
主の「神殿崩壊(2)」のお言葉は、弟子たちにも届きます。弟子たちは「前兆(4)」を問いますし、主も「戦争の騒ぎやうわさ(6)」が聞かれる状況になるとも言われます。それらは、「社会不安」という言葉に集約できます。しかし主は弟子たちに、「気を付ける」「惑わされないように(5)」「慌てない(6)」との勧めを説かれます。実際、そういう「社会不安」を私たちは2年間、身をもって体験しています。年の終わりに、改めて聞きたい言葉があります。
それは「神殿の建物を覚めた目で見る主」の眼差しです。建物の豪壮さではなく、「主はそこに携わった一人ひとりの思いを見る方」なのです。外見ではなく中身を、言い換えれば「社会不安の中に生きる私たちの心」を支えて下さる方なのです。ルターの言葉とされるものに「たとえ明日、世界の終わりが来るとしても、今日私はリンゴの木を植える」というものがあります。主の支えを信じつつ、朝は感謝を、夜も感謝を思いつつ、生きたい。