2022年7月21日木曜日

7/16.17 防府

 

7/17(日)防府の礼拝堂。

だいぶ、更新が滞っていました。

同様、会衆席側となります。

全国的に新型コロナウィルス感染拡大の中で、山口県、島根県でも

日々、感染された方々の多さは数値化されて目に届いています。

一方で、外は夏休み。どうなることか…。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

7/23  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

7/24 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

7/27 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝

7/30 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

7/31  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

■ ルカluke 10:3842 (127)

38一行が歩いて行くうち、イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。

 

39彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。 マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」

 

 41主はお答えになった。「マルタ、マルタ、

あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。

それを取り上げてはならない。」

 説教               「必要なことへの集中」 

第一朗読は、遠路からの客人への、アブラハムの接待です。豪勢なものです。この情景は、福音書の様子と似ています。日課の脈絡で、主が滞在された場所が明らかなのはサマリア人の村(ルカ952)、ユダヤ中部です。一方で今日の聖書は、マルタとマリアの姉妹が登場することからユダヤ南部の「ベタニア」村。直線距離で60キロの道のりを越えてきたのです。「イエスはある村にお入りになった(38)」の箇所の背景は、上記の如しです。

 

このマルタの姿や(38)、物言い(40)を見ると、主とは旧知であると言えます。ラザロの蘇生(ヨハネ11)後のことでしょう。主は、「一行(38)」共々で、マルタの接待を受けています。少なくとも12人。72(1017)も加わったならば、大所帯です。場所は「ベタニア(貧者の村)」でした。主と一行をもてなすのは、たとえ最小人数であっても、「族長アブラハム」とは異なり、現実離しています。しかしマルタは、主をもてなしたい一心なのです。

 

マルタは心身をこの奉仕に費やしているのです。このマルタに「何もしていない」マリアが映ります。マルタの舌鋒は、主に向かいます。「何も思わないか(40)」と。しかしマリアは「み言葉を聞いていた」のです。ベタニア村は、律法の故に社会性をはく奪された人々が、肩を寄せ合い生きる場です。神の愛に「飢えている」マリアに、主は「天に栄光、地に平和」の神の愛を告げたのです。「良い方を選んだ(42)」を、私たちは最後に考えたいのです。

 

両者とも、思考と行動の原点は「ベタニア村」で、マルタは「もてなし」を、マリアは「み言葉を聞く」ことを選びました。長道中の疲れをいやす「マルタのもてなし」を、主は喜ばれたことでしょう。一方で、出されるものを食べたとはいえ、マルタ家の負担にならないかも案じたことでしょう。むしろ、今の自分に必要なことを思い、み言葉を主に求めたマリアの姿こそ、主の思いに叶うのでした。諸事につき、今の自分の賜物の中で、考え、働きたい。