8/7(日)防府の礼拝堂です。
会員の方が一名、入院をされましたが、
退院が近いという連絡を頂きました。静養を祈ります。
8/6(土)の柳井の礼拝堂です。
午後の礼拝堂は暑い、の一言です。
初めて教会に来られた方とも共に礼拝をおこなうことが出来ました。
8/6(土)柳井行の直前に、徳山の礼拝堂に捧げられたお花です。
10年前に召天された方を覚え、ご学友が毎年お花をお捧げ下さいました。
この後、花瓶に生け、8/7(日)の徳山礼拝でお捧げしました。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
8/10 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となります。
8/13 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
8/17 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
8/20 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ ミカ4: 1~ 5 (旧1452)
1終わりの日に、主の神殿の山は、山々の頭として堅く立ちどの峰よりも高くそびえる。
もろもろの民は大河のようにそこに向かい
2多くの国々が来て言う。
「主の山に登り、ヤコブの神の家に行こう。
主は私たちに道を示される。私たちはその道を歩もう」と。主の教えはシオンから
御言葉はエルサレムから出る。
3主は多くの民の争いを裁き、はるか遠くまでも、強い国々を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。
国は国に向かって剣を上げず
もはや戦うことを学ばない。
4人はそれぞれ自分のぶどうの木の下、
いちじくの木の下に座り、脅かすものは何もないと、万軍の主の口が語られた。
5どの民もおのおの、自分の神の名によって歩む。我々は、とこしえに
我らの神、主の御名によって歩む。
■ ミカ5:1 (旧1454)
1エフラタのベツレヘムよ、
お前はユダの氏族の中でいと小さきもの。
お前の中から、わたしのために、
イスラエルを治める者が出る。
彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
■ 説教 「戦争が続く中で」
「国連」の礎石に、イザヤ書2章/ミカ書4:2の言葉が引用されています。先の大戦後、不変の平和を願う決意が込められた、普遍的な理解を得られる言葉と言えます。意味は、戦具が農具となり、流血でなく繁栄を願う言葉と言えます。しかし現実は「鋤や鎌を持つ農民/市民」たちが徴募(志願?)、巻き込まれる戦争は続きます。ルーテル教会は、8月第一日曜を「平和祈願」と定めています。「戦争」の中にいる私たちへの言葉を聞きましょう。
第一日課はミカ書。ミカは、3千年前の農民たちの現状を宣べ、過酷に生きる人々への助けをこの書で述べています。「屋財家財が奪われ、家業も無くなる(2:2)」とは、生活基盤の喪失を意味しています。戦火とはそういうもの、なのでしょう。私たちにとっては、災害が同等の破壊力を見せます。さらに現実は厳しい。「シオンは畑となり、エルサレムは石塚となる(3:12)」。国家の中心地は忘れ去られ、祭儀場は墓となるという意味なのです。
「終わりの日(4:1)」とは、今ではなく、いずれかに来るとされる時です。「戦具が農具に」も、預言の「終わりの日」の言葉です。世界から戦具がなくなる日を、国連という組織も私たちも望みて生きるものです。しかし私たちは、最も近しい隣人や家族にさえ、時として牙を剥くものです。ミカは、「いずれかの時」だけでなく、「今の時」への言葉をも残しています。それは5章「キリスト預言」、平和を実現する方がベツレヘムに生まれるとの預言です。
ミカ書5章の預言は主誕生の前夜、ヘロデに忖度する学者たちに、意図的に改変させられました。その忖度を拡大解釈し、ヘロデは主が生まれた町を中心としたその周辺の嬰児虐殺令を出しました。主は、そのような世の中に生まれたのです。お花畑ではない、剣や槍が飛び交い、嘆きの声が飛び交う戦争/災害の現場に主はおられます。「戦具を手放す」とは、人の領域。しかし神の御子が下るとは神の領域。そのことを思いつつ、祈りたい。