2/26(日)防府の礼拝堂です。
梅が週ごとに開いていきます。
2/19(日)防府の礼拝堂、まだこちらは咲が柔らかいものでした。2/18(土)柳井の礼拝堂。この日は変容主日の礼拝でした。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
3/1 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
3/4 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
3/5 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
3/8 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
3/9 木曜日 牧師 兵庫県出張
3/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ 説教 「アダムの失敗」
「創世記」の冒頭の意図は何か。「人間の不十分さ」を述べるものです。執筆時の王族たちの奔放さへの警鐘とも言えます。第一朗読でアダムは「木の実を食べ(6:食の欲求)」、女(イブ)は蛇に「死なない(4:命の欲求)」「賢くなる(6:力の欲求)」と唆され、誘惑に負けてしまいます。福音書は、主が荒野で誘惑に遭う所です。第一朗読と福音書の意図は、「誘惑」が人の生涯の中で、満たされている時でも、困難な時にも訪れることです。
「荒野の誘惑」は、「主の洗礼」に続きます。「誘惑」も、あえて主が受けたと言えます。しかし、記者たちが主の公生涯の冒頭に書く意図を、つまり「退ける決意」と「傍にある主」も覚えたいのです。さて、アダムたちへの誘惑と、主への誘惑は、食と不死、力の三点が重なります。聖書に登場する「蛇/悪魔」は、もとは神さまの家来です。その悪魔は、「人が心に欲するものに働く」のです。無意識な心の欲求を、彼らは実に巧妙に見抜き、働くのです。
「悪魔」は主を「空腹だろう、不死の肉体が欲しいだろう、権力が必要だろう」と想定します。一つ目は明確に、主が「空腹を覚えられた(1)」と記されます。後の二つは「神の国の接近(3:1)」という伝道活動には、宣伝となります。主が、不死と権力を仮に行使するなら、伝道完成は間近でしょう。しかし主は、誘惑をみ言葉で退けます。要注意ですが、これは主にのみ可能です。私たちは、果たして誘惑の中で、み言葉を想起出来るものなのか。
神さまは、私たちの「誘惑を退ける」決意、「試みに遭わせず」との主の祈りを聞かれています。それでも、私たちは弱く、大丈夫でなく、失敗を繰り返します。「アダムの失敗」を挽回した主は、私たちの失敗も引き受けます。大切なことは、失敗したと思える地点から生きること、その私たちに主が力添えをして下さることです。今年の四旬節は、礼拝の中で福音書を通して「主との出会い」が語られます。私たちも、週ごとに、赦しの主と出会いたい。