3/1(水)六日市礼拝所の「享保びな」です。
その名前の通り、享保時代の産物とのことです。
3/7(火)朝の徳山礼拝所です。
典礼色は紫、献花も紫を捧げて頂きました。
礼拝の中では、世界祈祷日の祈りがささげられました。
3/4(土)柳井礼拝所です。
こちらも典礼色に併せた献花でした。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
3/8 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
3/9 木曜日 牧師 兵庫県出張
3/11 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
3/12 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
3/15 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
3/16 木曜日 牧師 広島県出張
3/18 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ヨハネ 3: 1~12(新167)
■ 説教 「年を取ったものの成長」
主イエスによる「神殿の宮清め(2:13~)」が、この日の聖書のきっかけでした。主は神殿に乗り込み、門前で動物商、両替人たちを追い散らし、利得を大声で非難したのです。主が非難した「祭儀規定(例:レビ3)」は、出エジプトの最中に定められた、旅の秩序のための規定でした。諍いが起きた場合の、罰と、謝罪の形としての動物の配分を通し、食卓を共にする意味がありました。しかし主の時代、ローマ帝国支配の要素が加味されます。
「皇帝の肖像が鋳造された貨幣 (マタ22)」は、神殿使用は禁止でした。しかし帝国支配の中で、貨幣流通は広がります。「献金」を、ローマからユダヤ貨幣に替えるのが、両替商でした。手数料は、商人たちと神殿祭司の懐に納められたようです。主はそこに憤り、宮清めを行ったのです。しかし、現実的には、翌日からまた同じ商売が始められたことでしょう。主の思いは、行為を通し、原点回帰を見聞きした人々を通して、知らせることでした。
高位の聖職者であったニコデモが、主の行為に反応します。人目を憚って、夜、主を尋ねます。主はニコデモの訪問の目的を「新たに生まれること」と看破します。ニコデモは「教師」として、「人々の教師(10)」という立場にありました。自身の働きを通し、人々に神の愛が浸透していない現実を知っていたのでしょう。けれども彼もまた、時のシステムに組み入れられた一人として、何も成し得ず、むしろ「新生の方法」を主に尋ねたものと見られます。
主は、「新生」とは神の霊の働きで、人知の及ぶことではないと告げます。言い方としては乱暴ですが、今は分からないが、その時が来れば分かる、ということです。ヨハネ福音書で主は、「神の小羊」として紹介され、ニコデモにも「人の子が挙げられる」と話します。ニコデモはこの後、二度登場します。7章では未だ未信仰ですが、19章では友と共に、主を埋葬します。委ね、任せていくことを通して、神さまの私たちへの働きを見出したいのです。