7/8(土)の16時頃(防府は15時頃)の雨の様子の激しさを伺い、
また過去の水害の経験を教会員の方から伺いました。
7/11(火)六日市の街中を流れる川です。遠くには消防署が見えます。
よく見ると、草がなぎ倒されています。
今週、来週の予定は以下の通りです。
7/13 木曜日 牧師 美祢市社会福祉協議会
14 金曜日 牧師 美祢市社会福祉協議会
7/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
7/18 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝
7/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝7/23 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆マタイ 11:16~19&25~30 (新20)
■ 説教 「重荷を負う人々へ」
「笛吹けど、踊らず(17)」聖書由来のことわざの一つです。用意をしても、用いられないことです。主イエスはどのような脈絡で言われたのか。洗礼者ヨハネの逮捕(11:2)を踏まえた、主の感想の一つです。主の時代に、「原点回帰」を説き、実行したのが洗礼者ヨハネでした。彼は、律法の実行(神への愛)でなく、聖書の原点回帰として清貧と分かち合い(神からの愛)を説いたのです。舌鋒が鋭いヨハネは逮捕され、主はヨハネを回想します。
主は「広場で遊ぶ子たち(16)」を思い起こします。子たちは「ごっこ遊び」「結婚式/葬式ごっこ」をしていたのです。「会堂(集会所)」が町村の中心の時代、「会堂長」が司る結婚式/葬儀は、子たちにも馴染み深いものでした。「笛」は喜びの真似、「葬式の歌」とは悲しみの真似です。ただ、呼びかける子に対し、周囲が反応しなかったのです。主は、聖書に忠実であろうと生きたヨハネが、周囲に受容されず、自身とも重なると振り返ります。
主は、ヨハネが行った「断食」は「悪霊の仕業」、自身の「食事会」は「大酒飲み」と見なされていると言われます。敵対者が向ける「悪口」は、実は聖書を典拠としています。「偽預言者への極刑(申13章)」「大酒飲みへの極刑(同21章)」です。ヨハネも主も、原点回帰としての清貧、食卓の交わりを「神の愛の体現」として行ったのです。しかしヨハネは逮捕、自身の働きも理解されない、更に聖書を用いた悪口を言われる、というのが日課です。
しかし主は萎縮せず、「知恵の正しさは、働きが証明(19)」と言われます。聖書で知恵とは、神からの賜物の意味です。働き続けることで、神さまを証し続けるとの決意です。「笛吹けど、踊らず」の現状は変わりません。しかし主は、「喜ぶ者と共に喜び、悲しむ者と共に悲しむ(ローマ12:15)」のため、人の笛(喜び)と哀歌(悲しみ)に寄り添います。その一つが後半、有名な「重荷を担う」というみ言葉です。この主に、私たちは自身を委ねたい。