7/2(日)防府チャペルの礼拝となります。
聖餐式が行われました。
こちらは、聖餐式前の様子です。
な、な、なんとメロン!!
ご召天された益田の方が、この時期下さっていた「益田メロン」です。
今は六日市の方が下さっています。6つ、ありますね。
今週、来週の予定は以下の通りです。
7/4 火曜日 六日市チャペル礼拝
7/5-7 牧師 上京
7/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
7/11 火曜日 10時半 牧師会 於:宇部
19時 六日市チャペル礼拝
7/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝7/16 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆マタイ 10:40~42 (新19)
■ 説教 「時が良くとも悪くとも」
10章42節「この小さなもの」とは、誰でしょうか。読み方は、2つあると思います。一つ目は「私たちの隣人」で、そこへの、小善の勧めです。「弟子」である私たちは、「この」「小さな方々」手近な方々に、日ごとの善を行う促しで、善行の行動原理という読み方です。私たちの行動範囲や視野は、主の時代と比べ増しています。「出来る範囲」の上限は無限です。しかし神さまからの「報い」の言葉を思いながら、「この」人々に向けて、働くのです。
「小善の勧め」は、教会を教会としてきた働きの源泉です。教会とは、皆さまの善意で成立するものです。2つ目の読み方は「私」であり、「必要なものは備えられる」ということです。そこから、日々、神さまに全てを任せる勧めとなります。聖書の脈絡は、「派遣される弟子たち」への主の勧めの結びで、徴税人マタイもいます。徴税人が弟子となる、ということは、外部でも弟子内部でも軋轢を生んだと思います。まして、マタイ当人の心境はどうか。
主は40節で、派遣先で弟子たちが受容され、宣教は成功、神さまを受け入れると、根拠を超え宣言します。主は確信を込め「大丈夫」と言うのです。41節ではその脈絡で、弟子たちを預言者や義人と同等に扱います。過去、未来は気になります。主も、弟子たちを「小さな者」と言われます。当時、弟子たちは、徴税人を筆頭に「小さくされた(尊厳を奪われた)人々」でした。ただ主は、神さまの備えがあなたに「水一杯」という形であると告げます。
弟子が、なぜ弟子とされたのか。主は弟子たちや多くの人に「水一杯」の神さまの備えを届けていたからでしょう。私たちも、今の自分がなぜ、居るのか。この「水一杯」を、色々な形で受けたからと言えます。第一朗読は、甘言を説くハナンヤに対し、神さまの厳しさと恵みに立ち返ることを促すエレミヤの言葉です。主との対話で、渇いていたことを知るサマリアの女性のように、主と対話し、言葉を頂き、魂を潤し、一週間の歩みに向かいたい。