6/28(水)徳山チャペルの礼拝堂。
11:40現在、外で雷がなっています。雨がふるかも。
挑戦したのは、私ではありません。
日曜日は、午前中は宇部教会礼拝からの、夕方西宮教会の役員会でした。
今週、来週の予定は以下の通りです。
6/27 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝
6/29 木曜日 15時 牧師 広島
7/2 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
7/4 火曜日 六日市チャペル礼拝
7/5-7 牧師 上京
7/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆マタイ 10:24~31 (新18)
■ 説教 「全てをご存じの方」 マタイ10:26-31
マタイを含む弟子たちの派遣は、他の弟子たちに緊張感を伴ったと思います。「マタイの弟子入り」の際、彼は主イエスと他の「罪びとや徴税人」を自宅に招きました。その様子をファリサイ派が「弟子たちに」咎めました。「徴税人マタイ」の立ち位置は、特に「熱心党」から見て「容認できない」と言えます。派遣されるマタイ自身の内心はどうか。複雑なものがあったと言えます。その出来事を踏まえ、遣わす弟子たちの心を主も感じたのでしょう。
日課は「恐れるな」で始まり、終わります。旧約で「恐れるな」とは「出陣(申20:3)」等に添えられる神の言葉で、「安心せよ(士6:23)」とも組にされます。弟子たちに、特にマタイに主は、何と戦うことを期待するのか。「昔の自分、今の自身」が鍵です。徴税人だった過去と、今。昔、徴税人だったことを知る人々と、弟子である今。後年のパウロ(迫害→伝道者)と重なります。昔は拭えないという事実に対して、主は「恐れるな」と言われるのです。
主は、2つのたとえ話をされます。少量、多量のたとえ話です。小さな雀でも、多くの髪の毛でも、神さまに知られていると主は断言します。「小さな雀」の「捧げもの」とは、二羽が奉献物としての最小単位だったようです。加えて、1デナリの1/16であるアサリオンとは、最小貨幣の一つです。「取るに足らない、小さなもの」と見られていても、神は支える。「多量の不安」でも主は支える。主はこの話を、おそらくはマタイを念頭に置いて語ったと思います。
第一朗読は、若年時に預言者として召されたエレミヤの嘆きです。嘆きつつ、エレミヤは「お任せします(20:12)」と言います。不安で潰されそうになる日々、しかし主は「任せよう」という信仰を、先人エレミヤを通してマタイに語ります。主がかつて、マタイを見出し、語りかけた言葉は、私たちの今にも向けられています。「受け入れざるを得ない事実」と「向かい合うこと」をこの世の中で実感する私たちです。そこに注がれる愛を、受け入れたい。