のっけから暗い感じですが、6/12早朝の徳山チャペル礼拝堂となります。
もうすぐ、日の出。聖壇が朝日に‥と思ったら、今日の天気は曇り。残念。
奥のユリ、赤と黄色の流線型のユリ。珍しい品種です。
懸案だった雨漏りが修繕できた、とのことです。
六日市と柳井は今回も写真がありません。次は必ず。
今週、来週の予定は以下の通りです。
6/12-14(月ー水) 牧師 東京出張
6/13 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となります。
6/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝6/18 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
6/20 火曜日 六日市チャペル礼拝
6/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ マタイ9:9-13 (新15)
■ 説教 「黙する人」
福音書に登場する「ファリサイ派」は、聖書に熱心、忠実な人々でした。彼らの生き方とは、旧約の「預言者」に発するものでした。古今の国難「災い」を、預言者は「唯一神への背信」や「他国の神への傾倒」の結果と、警鐘を説いていました。その系統のファリサイ派は、主の時代、「徴税人や罪びと」を、「神への背信者」として責めたのです。生き方を正すのが、神さまの喜びであると。その生き方を私たちは、間違いとも、正解とも判断しません。
徴税人マタイは、主との出会いとその直後の行動から、背景、人柄等を想像出来ます。徴税人とは、ローマのユダヤ属州化(紀元前40年頃)によって生まれた職業で、世襲か「徴税権を買う」ことで就けました。ローマのための金銭を、自身の所得を上乗せして徴収するので、「罪びと(社会の枠外)」と見做されました。どんな心で、マタイは「収税所に座っていた(9)」か。「神の賜物」という名の意味のマタイに主は「私に従いなさい」と言います。
マタイは、自己理解と、世の評価の乖離に悩んだか、「仕事」と割り切れていたか。しかし主の声を聴いた後、マタイは自宅で宴席を開きます。宴席は、主人の権限で始められます(例:「放蕩息子」父)。マタイは「神の賜物」としての資産を用いて、分かち合いの食事を始めるのです。他の罪びとや徴税人も「招いて」宴会が始まります。自分の蓄財や仕事で終わるのでなく、用いて人のために生きる。マタイは主の声をそのように受け止めます。
上述の歴史観は、唯一神への敬意の一側面です。歴史には様々な背景があります。「背信の結果としての災い」という価値観と、主の時代の「職業の選別」が、どれほど当事者たちを痛め、またその心を病ましたか。主が試みたのは、同じく「神さまへの敬意と招き」であり、マタイは「応答と、喜びの食卓」で答えたのです。神が喜ばれるのは、自分の全てが受け入れられているという心なのです。神さまは、私たちのこともそう見て下さいます。