夏(休み)が開け、ようやく、日常が戻って来た日々です。
記念会の日の朝。手前には二年前に召天された方を記念する
アンスリウムという名前の観葉植物です。
今週、来週の予定は以下の通りです。
9/5 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝
9/9 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
9/12 火曜日 19時 六日市チャペル礼拝
9/16 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
9/17 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆マタイ 16:21~25(新32)
「失敗に育てられる」
21節「殺される」。主は、ご自身の殺害と復活を見据え、苦難を負われるのです。苦しみを前に、それを引き受ける姿は、旧約「苦難の僕(イザヤ42)」に見られます。ユダヤが国家としての体を無くしそうな昔に生まれた「苦難の僕」です。文字通りの「困難な現状」に向かう人に、「苦難の僕」は寄り添うのです。今日の聖書を一読すると「ペトロへの叱責」となります。叱責をした主の本心はどのようなものがあったのか。この日、それを聞きましょう。
今日の聖書の直前でペトロは、主をメシア(救い主)と告白しました。模範解答ですが、内実は主の理解とずれています。ペトロは「模範的統治者としてのメシア」、主は「苦難の僕としてのメシア」でした。主は今日の個所で「捕われ、殺される」と言われます。「模範者が逮捕され、殺される」とは、ペトロにはあり得ないことでした。だから「脇へ連れ、諫める(22)」の状況になるのです。対して、主は「サタン、引き下がれ(23)」と厳しく言われます。
ペトロを「悪魔」と罵る背景は何か。「苦難の僕」としてのご自身の生き方が「第一弟子」ペトロに受容されないことを残念に思ったのです。ただ「引き下がれ」という言葉には注意が必要です。「荒野の誘惑」の際、主は「退け、サタン(4:10)」と言われ、ここでは「引き下がれ」。「後ろに回れ、従え」という意味です。つまり主はペトロに、ご自身の生き方への再認識を訴えます。そこから「わたしについて来たい者は(23)」という言葉が生まれます。
ペトロは「捨てられない自分」を現します(24)が、主は「後ろに回れ、十字架を負え」と促します。「十字架」とは見せしめの刑具で、やがてペトロは、大言壮語した後に主を裏切り、否定します。裏切ったという事実を、ペトロは「苦難の僕」である復活の主と共に引き受けます。「苦難の僕」主は、今もなお私たちと共にもあります。失敗を、失敗と引き受け、受け止めたときに、進歩が見られるのです。私たちは、どういう失敗に育てられたでしょうか。