2025年3月26日水曜日

3/22.23 柳井玄関、防府献花、ミネソタビール

 

 3/23 ミネソタで牧師をしている方から頂きました。

 これはとってもフルーティな味わいでした。

 3/23 その写真の数時間前。防府の礼拝堂。四旬節真っ盛り。ビールは良いの?
 3/22 その写真の一日前。柳井の玄関。汗ばむ日でした。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

3/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

3/29 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/30 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/2 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

4/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/6 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ13: 1 9 (134)

 説教             「出せない答えが答え」 

   「因果」という定理。それに宗教的「応報」思想と「金儲け」を加えると、宗教は腐敗します。「金儲け」が腐敗のもとです。「因果と応報」の考え方は、物事の「原因」を深く求める人々に答えとなったことは確かです。だから今日、「自己責任論」に形を変えて残るのです。

 

    主は二つを挙げています。一つ目は宗教的災難。二つ目は労働災害。当事者や家族には納得し難い出来事です。「なぜ信心していたのに」「家族のため働いていたのに」。「原因」を求める思いは分かります。当時は「罪を犯した」から災難に出会うとの理解でした。

 

    しかし主は「決してそうではない」と言われ、「悔い改めなければ滅びる」と言われます。一読すると、「因果応報」と読めます。ただ主の思いは、災難に「罪」の考えを持ち込む形を、「神のみ前に悔い改める」ことです。直後の「いちじくの木」が主の思いを示します。

 

    「実を付けない」という主人の憤りは、レビ1923を典拠とし、神への翌年の捧げものがない焦りと見ます。「実を結ばないから切る」のです。しかし園丁は木をかばいます。公生涯は3年目、主はこの時も人々を支える思いなのです。「かばう主」に感謝いたします。