4/6(日)礼拝説教題は「今日、できること」
今日考えている仕事の完成までは、道半ば…にも至っていません。
3/30(日)防府の納骨堂。水仙が咲き始めました。
この水仙の香りは強いのです。
3/29(土)柳井礼拝堂。
今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
4/2 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
4/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
4/9 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
4/12 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
4/13 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時 防府チャペル礼拝
説教の要旨は以下の通りです。
□ルカ15:
1~ 3,11b~32 (新138)
□ 説教 「神は夕日にたたずむ」
この「放蕩息子のたとえ」は、聞き手の「金に執着するファリサイ派」が「あざ笑う(16:14)」のです。「長子権」や「放蕩者の追放規定(申21)」を逸脱している、荒唐無稽な「父」を語るからです。主は「逸脱」と見られた人々(15:1)の「救い」を意図しています。
「弟」は「小悪」程度の認識かもしれません。「故郷に帰ろう、父に雇われる」と思うからです。甘すぎます。「帰った場合」規定では「石打」です。退廃的であり、み言葉を読まない彼は「ファリサイ派」と対照的位置づけです。ただ弟は帰り、迎えたのは死でなく父でした。
「嘲笑」のポイントは「弟の思考、父の歓待、語った主」です。ファリサイ派の語る神は「道徳的正しさ」を喜ぶ方です。一方主は、エゼ33:11「悪人正機」を喜ぶ神に基づきます。主は「正しさ、誤り以前に、神は人に顔を向ける」神「アロンの祝福」の神を示します。
この話は「悔い改めに至らない」人にも触れます。優遇に怒る「兄」に「父」は、屋外に出ます。「神は慰めが必要な所に行く」ルカの使信です。ルカ15章のたとえ話は、積極的な「悔い改め」を推奨する話ではありません。「探し求める」神さまの姿をまず描くのです。