十字架と花台に朝日が差し込むこの瞬間が好きです。
1/4(日)防府チャペルの礼拝前。礼拝後にはおぜんざいを頂きました。
聖餐式の用意が整えられています。
こちらは、「youtube」の「アイ・キャン 錦町県境 ライブ配信」。今週以降の行事は、以下のとおりです。
いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。
1/7 水曜日 16時 六日市チャペル礼拝
1/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
1/14 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝
1/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
1/18 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び
10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
1/4(日)の礼拝説教の要旨は以下の通りです。
顕現主日 説教
マタイ福音書2章1節-12節 「神が下さる贈りもの?」
水原一郎
① 今日は顕現主日です。占星術の学者たちが幼子イエスに贈り物を捧げた出来事を覚えます。けれど私たちは、人が主イエスに贈ったもの以上に、神さまが私たちに贈ってくださったものに目を向けたいと思います。主イエスご自身が、神さまの贈り物です。
② 占星術の学者たちの贈り物には、象徴的な意味が見出せます。まず「黄金」。列王記上10章2節には、シェバの女王がソロモン王に多くの黄金を贈ったと記されています。そこから、黄金を王の象徴と見ることができます。しかし、主イエスは王宮ではなく、ルカ福音書では飼い葉桶、マタイ福音書ではベツレヘムの家におられました。その生涯も、王座とは無縁でした。人々が生きる場所に生きる方。それが主イエスでした。
③ 次に「乳香」。乳香はレビ記2章15節で、神さまへの供え物として用いられました。そこから、乳香は「礼拝を捧げるもの」と「神さまを示すしるし」と見ることが出来ます。けれど主イエスは、「礼拝の場」である会堂や神殿に留まりませんでした。「神さま」としてのしるしを誇りもしませんでした。むしろ神殿、会堂の外に追いやられた罪人や徴税人と共に過ごしました。神さまから遠ざけられた人々に、神さまの愛を伝えたのです。さらに、マタイ23章では、礼拝を特権化するファリサイ派を厳しく批判しています。主イエスは、祈る人々にも、祈ることが出来ない人々のもとに身を置いた方でした。
④ 最後に「没薬」です。没薬は防腐剤や薬として用いられ、ヨハネ19章では主イエスの埋葬の場面に登場します。死の象徴と見ることが出来ます。ここでの学者の贈り物には、主イエスがやがて十字架の死に向かうことが示唆されています。クリスマスは主イエスの誕生を祝いますが、やがて四旬節、受難週と進み、死に至る道へと続きます。人々はイエスに期待し、やがて裏切りました。誰もが「終わった」と思った十字架の死――しかし、神さまはその先に復活と永遠の命を用意しておられました。なぜか。それは全て「主イエスを私たちと共に居らせるため」のことでした。
⑤ 黄金、乳香、没薬――学者たちは、「これこそふさわしい」と信じて贈り物を携えてきました。幼子イエスへの敬意がありました。しかし同時に、そこには人間の期待も込められていたことでしょう。王であってほしい。神らしくあってほしい。救い主として、分かりやすい力を示してほしい。けれど主イエスは、人が思い描いた姿のままには現れませんでした。目立つ場所ではなく、静かな家におられ、力を誇ることなく、人々の生活の中を歩まれました。顕現とは、「期待どおりの神が示された」という出来事ではありません。むしろ、「人の期待を超えた仕方で、神がご自身を現された」出来事でした。
⑥ 私たちも新しい年の初めに、それぞれの願いを思い描きます。こうなって欲しい、これだけは守られたい。或いは、大きな願いはなくても、日常が穏やかに続いてほしいと願います。しかし現実の歩みは、私たちの思い描いた通りに進まないことがあります。予定が崩れ、努力が報われないと感じる時、私たちは「神はどこにおられるのか」と問いかけます。そのとき思い起こしたいのが、聖書の言葉です。「私は植え、アポロが水を注いだ。しかし、成長させてくださったのは神です」。博士たちは贈り物を携えて旅をしました。しかし、旅路を導かれたのは神さまご自身でした。私たちもまた、自分にできることをしながら、結果や成長を神さまに委ね、この一年を過ごしましょう。





























