2025年4月1日火曜日

3/29.30 柳井、防府の水仙、徳山ジャガイモ、今日出来ること

 

 4/6(日)礼拝説教題は「今日、できること」

 今日考えている仕事の完成までは、道半ば…にも至っていません。

 徳山ジャガイモ。3/10作付けから3週間。芽が出てきました。
 3/30(日)防府の納骨堂。水仙が咲き始めました。

 この水仙の香りは強いのです。

 説教壇に飾られていますが、礼拝堂入り口でも香ります。
 3/29(土)柳井礼拝堂。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

4/2 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

4/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/6 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/9 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

4/12 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/13 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ15: 1 3,11b32 (138)

 説教            「神は夕日にたたずむ」 

    この「放蕩息子のたとえ」は、聞き手の「金に執着するファリサイ派」が「あざ笑う(16:14)」のです。「長子権」や「放蕩者の追放規定(申21)」を逸脱している、荒唐無稽な「父」を語るからです。主は「逸脱」と見られた人々(15:1)の「救い」を意図しています。

 

    「弟」は「小悪」程度の認識かもしれません。「故郷に帰ろう、父に雇われる」と思うからです。甘すぎます。「帰った場合」規定では「石打」です。退廃的であり、み言葉を読まない彼は「ファリサイ派」と対照的位置づけです。ただ弟は帰り、迎えたのは死でなく父でした。

 

「嘲笑」のポイントは「弟の思考、父の歓待、語った主」です。ファリサイ派の語る神は「道徳的正しさ」を喜ぶ方です。一方主は、エゼ33:11「悪人正機」を喜ぶ神に基づきます。主は「正しさ、誤り以前に、神は人に顔を向ける」神「アロンの祝福」の神を示します。

 

    この話は「悔い改めに至らない」人にも触れます。優遇に怒る「兄」に「父」は、屋外に出ます。「神は慰めが必要な所に行く」ルカの使信です。ルカ15章のたとえ話は、積極的な「悔い改め」を推奨する話ではありません。「探し求める」神さまの姿をまず描くのです。


2025年3月26日水曜日

3/22.23 柳井玄関、防府献花、ミネソタビール

 

 3/23 ミネソタで牧師をしている方から頂きました。

 これはとってもフルーティな味わいでした。

 3/23 その写真の数時間前。防府の礼拝堂。四旬節真っ盛り。ビールは良いの?
 3/22 その写真の一日前。柳井の玄関。汗ばむ日でした。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

3/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

3/29 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/30 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

4/2 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

4/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

4/6 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ13: 1 9 (134)

 説教             「出せない答えが答え」 

   「因果」という定理。それに宗教的「応報」思想と「金儲け」を加えると、宗教は腐敗します。「金儲け」が腐敗のもとです。「因果と応報」の考え方は、物事の「原因」を深く求める人々に答えとなったことは確かです。だから今日、「自己責任論」に形を変えて残るのです。

 

    主は二つを挙げています。一つ目は宗教的災難。二つ目は労働災害。当事者や家族には納得し難い出来事です。「なぜ信心していたのに」「家族のため働いていたのに」。「原因」を求める思いは分かります。当時は「罪を犯した」から災難に出会うとの理解でした。

 

    しかし主は「決してそうではない」と言われ、「悔い改めなければ滅びる」と言われます。一読すると、「因果応報」と読めます。ただ主の思いは、災難に「罪」の考えを持ち込む形を、「神のみ前に悔い改める」ことです。直後の「いちじくの木」が主の思いを示します。

 

    「実を付けない」という主人の憤りは、レビ1923を典拠とし、神への翌年の捧げものがない焦りと見ます。「実を結ばないから切る」のです。しかし園丁は木をかばいます。公生涯は3年目、主はこの時も人々を支える思いなのです。「かばう主」に感謝いたします。


2025年3月21日金曜日

3/15.16 徳山桜、防府桜、柳井の献花

 

 3/21(金)徳山の朝の桜。満開です。
 3/16(日)防府の桜。裏手になります。
 同様、表玄関の防府。
 3/15(土)柳井の献花。右手は説教壇になります。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

3/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

3/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/23 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/29 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/30 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ13:3135 (136)

 説教               「逃れることが大切」 

    テーマは「主はあなたを見捨てない」です。冒頭では「善良なファリサイ派?」が登場します。「ヘロデの殺意を知らせた」のに、直後の主は「医療を続ける」と苛立つ宣言をします。彼らの「仮面」の裏にある、「目立つ行為を抑えて欲しい」という思いを知るからです。

 

    主は人々の求めが「医療」と知っています。目前の「癒し」は切実です。でも主は「だが」と接続詞を語ります。主は「医療行為」と「自分の道」を歩むこと両方を願います。十字架と復活を通し、全ての人の肉体と精神、この世と御国で共にあるとの決意を固められます。

 

 「狐」ヘロデと対照的に、主は「エルサレムへの決意」を示します。この時代の都は、教条主義と弱者切捨ての象徴でした。「歴代誌下24章」の前例と重ね「見捨てられる」と言われます。しかし主は「み名の賛美(35.1938)」を受け、やがてエルサレムに入城します。

 

   主は「自分の道を歩む」ことは「ねばならない(33)」義務とします。「医療行為」にせよ「十字架の死と復活」にせよ、主の決意、決心は「誰かを見据え、あなたと共にあること」でした。現実の癒しや、先立つ不安を見据える時があります。主も同じものを見られます。





2025年3月11日火曜日

ジャガイモ作付け、防府の梅2、商都柳井、徳山

 

3/10(月)徳山の畑にジャガイモを作付けしました。

ジャガイモは、昨年のクズイモを芽出しさせたもの。

3/9(日)防府の梅その2です。手前にはより道路側の桜。こちらはつぼみ成長中。
3/9(日)徳山の礼拝堂。手前にはポインセチア。クリスマスに捧げられたものが

復活しています。

3/8(土)商都柳井の中央を流れる柳井川。

河川敷が整備され、遊歩道になっています。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

3/12 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

3/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/19 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/23 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ4: 113 (107)

 説教            「強くなくて、良いのです。」 

    聖書のテーマは「踏み止まる」となります。ルカの特徴は「荒野の誘惑」の前に「アダムに遡る系図」を記します。意図は「空腹」「権力」「栄光」にひれ伏したアダムの失敗(創3章)を振り返るものです。アダムの失敗を主が「み言葉」を通し克服したと述べることです。

 

    「み言葉に立脚して生きる」事は、目指す所でしょう。主の時代「悪魔」は、「神からの試験官」の位置付けでした。「神は悪魔の誘惑を通し、信仰を試す」のです。しかし、創世記や「荒野の誘惑」を見ると、「誘惑」が人間の欲望をなぞる形で現れることに愕然とします。

 

    アダムとイブは「木の実を美味しそうと」見、「賢くなると(創3:6)」見て、屈服します。しかし主は全てを「み言葉」で対処します。第1誘惑では、賜物を恣意的に用いません。第2では着実な努力を、第3では、神さまを至高とします。主と人間との差は明らかなものです。

 

    「守るべきもの」を思うとき、信仰や信念に基づく自律は強くなります。主の「守るべきもの」は人々でした。厳しい時代の中、み言葉を伴い生きることを主は人々に伝えたのです。新しい週、主に守られる存在であると覚えましょう。誘惑に踏み止まった主を覚えましょう。


2025年3月4日火曜日

2/26.3/1.2 ライブカメラに映り込み、柴犬、防府梅、徳山

 

 3/2 防府礼拝所の梅。

 「今年は、例年になくきれいな梅」とのことでした。

 3/2 世界祈祷日の冊子。

 徳山礼拝の中で、こちらから抜粋された祈り「クック諸島」を覚えて祈りました。

 3/1 柳井礼拝所の牧師館跡地、タマネギ畑。
 3/1 柴犬と子ども。この距離感。
 2/26 「錦町県境」のyoutube ライブカメラに映りました。証拠写真。

 今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

3/5 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝  

3/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/12 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/15 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/16 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ9:2836 (123)

 説教                「球根の中のいのち」 

    来週の礼拝から、「四旬節」に入ります。「主の変容」は、クリスマスとイースターの境であり、主の生き方を示す箇所です。ことに「受難予告→変容→子の癒し」という配置の通り、「栄光の主が、病む人々と共にある」ことを示します。ただしルカは「特異」なのです。

 

    共通項は「苦しむ者のためのイエスは、病むものを支える」ことです。「特異」は「ペトロ」の存在です。32節「ペトロの眠気」は本文と関係ありません。33節「ペトロが混乱」とは、彼の誠意をルカが壊しています。ペトロは眠気の中で「仮庵」の接待を申し出たのですが。

 

    しかしペトロは、主とモーセ達の会話中の「最期」を聞き逃しません。ペトロは「キリスト教の死生観」を創造した主から、これを聞き取ったのです。「最期」は「出エジプト」の「エクソダス」。主の「最期」は「目的なき死」でなく、「復活への過程」と、ペトロは聞くのです。

 

    ペトロは「眠さ」という本質を持ち、み言葉を聞きます。「漁師」時代もそうでした。今日の箇所から聞けることは様々です。やがて、春です。「球根の中のいのち」が見られます。「堅い私、心、強い現実」を持つ中にいのちの主がいる実感を持ち、日々を過ごしましょう。


世界祈祷日「南太平洋、クック諸島」 2025.3.2-3.3(柳井・徳山) 「私たちは、おそろしいほどにすばらしく造られています」 勧め)本年の世界祈祷日は、南太平洋の「クック諸島」を覚える時となります。 「クック」とは、18世紀の探検家で、この島々を「発見」した「グレート・ブリテン 王国」の探検家です。それ以前からこの島々には、4世紀ごろに遡ることができる文化 がありました。この諸島群の中での、地形的に最大規模の島は「ラロトンガ」です。 マオリ語で「トンガ」は「南」、「ラロ」が「果て」ということです。つまり昔からこ の島は、「南の果て」と呼ばれ、海を行き交う人々の目標、目印となっていたのです。 「世界祈祷日」の式文ははじめに、この島々の「澄み切った青空、黄金の太陽、自由 に飛び交う鳥たち、真っ白な砂浜、新鮮な農産物、多彩な動植物」の自然を読む人に思 い起こさせます。しかしこれらの島々に暮らす人々の切実な祈りをも載せています。 私たちは今日、この地の女性たちの祈りを心に覚え、その祈りを覚えましょう。 冒頭の祈り) 私たちをすばらしいものに造って下さった神よ。世界中の姉妹と兄弟たちとの交わりに感 謝します。共に集まる私たちが、あなたに対して、またお互いに心を開くことが出来るよう助 けて下さい。私たちは、あなたの愛を世界に放つことが出来るでしょう。アーメン。 司式)神さま。2020年から始まった「コロナ・パンデミック」は小さな島にも影響を及ぼ しました。神さま、2022年に15歳だったミイさんは、コロナの心配の中、祈ることで平 安を頂きました。私たちも種々の心配を抱える中、熱心に祈ることを教えて下さい。 冒頭の祈り2) 神さま。私たちの心を占める、あらゆる心配事から心を静めて下さい。 私たちをあなたと、再び結び合わせて下さい。アーメン。 司式)神さま。世界に存在する言葉は、文化として受け継がれてゆくものです。しかし一 時、国家政策によって「ラロトンガ」固有言語の「マオリ語」が消失し、英語へと同化さ せられそうになりました。神さま、マオリ語は「絶滅危惧言語」に指定されていますが、 その復活と継続のため、努力する方々の働きをどうぞ強めて下さい。私たちの捧げもの が、神さまが与えられた言語と文化のために働く方々に用いられますように。 ヴァイニウさんの祈り) 神さま、たとえ見捨てられても、軽蔑されても、神が共にいて下さったことは、分かっていま す。光が届かない海の底までも、神は私たちと共にいて下さいます。 ラロトンガ等を始めとする、島々の人々が幸せに暮らせますように。アーメン 司式)神さま。医療現場で働くドクター・ドーンさん、また医療現場を支える方々、今こ の時も働き、祈り、生活する方々に神さまの祝福を示してください。神さま、私たちが礼 拝後に捧げる献金を祝福し、「クック諸島の女性たち」のために用いて下さい。また、ル ーテル教会においては、「社会福祉法人べタニアホーム」の活動をお支え下さい。 会衆)自分と他の人を、神さまの愛される子どもとして大切に出来ますように。アーメン



2025年2月25日火曜日

2/22.23 柳井、防府の梅、徳山の朝

 

 2/25(火)朝の徳山礼拝所。

 だいぶ、夜明けも早くなりました。

 2/23(日)午後の防府礼拝所。

 背景は、道路沿いの看板。ここに柳井の方が毎週、説教題を記載してくださいます。

 2/22(土)柳井礼拝所。

 左手にも、教会員の方からのお花がささげられています。

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

2/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 水曜日となりました。 

3/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

3/5 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/8 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/9 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

 ルカ6:2736 (113)

 説教             「ありがとうに花束を」 

    聖書は「敵」の扱いを、三つ示します。1つ目「やりかえす」。レビ24:19「復讐の連鎖を実力で断つ」との意味です。2つ目「関わらない」。詩編941「報復の神に任せる」ということです。3つ目が今日の「愛する」。レビ19:18「隣人愛」が原典です(マタイ5:43)。

 

    「隣人愛」はともかく、「敵への愛」は「無理」といえます。今年の「世界祈祷日」で、「壁に直面」された方の証しが式文にありました。「伝統言語、マオリ語の廃棄」を強制された方が「その侮辱は忘れられない」と言います。主がなぜ「敵への愛」を語ったのでしょうか。

 

    これは「弟子たち(6:20)」への言葉です。弟子たちも「敵」を「憎み続ける」「やりかえす」「神の報復」を求めることを自然でした。主は、この当時は主のみが可能な「敵を愛する」姿を、十字架の上で全ての人に示します。「復讐の連鎖」を、「愛で断つ」思いです。

 

    さて、私たちが挑戦できることがあります。主はここで「恩知らず(5)」という言葉を用います。これは「感謝しない」という意味です。身近な「敵」と、その思いは、心を行き詰まらせます。私たちはせめて、関わりを持たず、出来る「感謝」ありがとうを持ちたいと思います。


2025年2月19日水曜日

2/15.16 防府、徳山

 

 2/23(日)徳山礼拝の説教題は、「ありがとうに花束を」

 1か月前の自分のテンションが、正直思い出せない説教題となっています。

 2/23(日)防府の梅。あと一歩!

今週以降の行事は、以下のとおりです。

いずれの集会、礼拝にもどなたでもお越しいただけます。

2/18 火曜日 17時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となりました。 

2/22 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/23 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝

2/26 水曜日 17時 六日市チャペル礼拝 

3/1 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

3/2 日曜日 10時 徳山チャペル聖書の学び

       10時45分 徳山チャペル礼拝

       15時 防府チャペル礼拝 

説教の要旨は以下の通りです。

ルカ6:17a,2026 (112)

 説教                「負の現実で神は働く」 

   「山上 (マタイ5)」で教えた主イエスは、「平地(17節)」におられたとルカは記します。主は人々と「同じ目線」の意図を示すのです。ルカ福音書のこれまでの「地に平和」「鳩のような聖霊」は「人と共にある神の姿」を示すものでした。「平地の説教」も同様です。

 

   さて「貧、飢、泣く、迫害」は、なぜ起こるのでしょうか。「社会の構造」の根幹には、宗教の原始的な理解がありました。ヨブ記で「友人(ヨブ8)」は、それらの「困難」を「神の祝福の欠如」と結論付けます。主の時代にも残っていたその原始的な理解に、主は向かいます。

 

   このような「祝福の欠如」からの回復には「罪の告白、贖い」が必要でした。「神に近づき、許しを得る」のです。しかし主は「回復しえない人々」に「祝福を告知」されました。「主が近づき、共に交わる」のです。「同じ位置での活動」を、平地で弟子たちに示すのです。

 

   「負の現状は、“不信仰”由来か」という考えは、古くて新しい教えです。少なくとも主が導かれた教えは、そのような「因果応報」を排除します。弟子たちも、やがて「苦しみを喜ぶ(1ペトロ413)」という観点に変えられるのです。今の現状に、主が共におられます。