2015年2月1日日曜日

2/1 礼拝と献花


 本日の献花は、水仙でした。背景の言葉も良いですね。

 本日は聖餐式を伴う礼拝でした。礼拝後には、お弁当と
 教会総会が行われました。
 2015年の歩みを主に委ねつつ、場面場面で協力し合いながら
 この年も共に歩むことが確認出来ました。

来週も、礼拝は2/8(日)10:45~行われます。
どなたもご自由にお集まり頂けます。

本日の説教要旨です。



説教要旨】 マルコによる福音書1章29-29節 
主の時代、キリスト教徒は超少数派で迫害の対象でした。初期信徒たちの課題は、家族を巡る問いでした。主は家族の中の未信者をどう考えられるか、が課題なのでした。主は、今日の聖書で回答を明示されます。主は弟子たちの家族たちに、関わりの姿勢を示す福音書なのです。主の第一声は「神の接近」でしたが、その主のみ声の対象は、弟子たちの家族にも及ぶのです。

主は、湖畔で漁師を弟子とし、カファルナウムという町に行かれます。そこには弟子の一人シモンの家がありました。家でシモンの姑が高熱。主は癒されますが、聖書は、ヤコブ,ヨハネという他の弟子の姿を語ります。主の弟子であり漁師仲間で彼らこそ「父を残す」と記載されていました。その二人の若者に主の姿が写ります。弟子の家族を顧みる主の姿を彼らは見る。

単なる癒しの話に終わりません。癒しの後、母は「もてなす」のです。客人のもてなしは当時は家長の仕事でした。安息日の「豊かな」食卓が始まります。ユダヤの日数加算法は夕方からです。だが彼女は癒されると日中に直ぐに働きます。そもそも主も日中に癒すのです。当時の時代的な制約を越えた主の関わりが強調されています。喜びの食卓を整える母も同様に強調。

この後の主の姿にも着目です。カファルナウムの町で主は病者を癒し、称賛を受け支持者を獲得します。だが主はこの街に留まらないのです。自身の働きの場を探し、諸地域を旅するのです。その過程で主の愛に触れた人々が共同体に加わるのです。主の言葉には、人の生き方を変える迫力があるのです。無論、主の愛は私たちにも及びます。同時に、身近な者にも及ぶことを聖書は語るのです。「神の国は近づいた」と言われる主は、皆さんの家族に近づかれます。