2015年10月11日日曜日

10/11 礼拝と献花







朝方は、どうやら雨が降ったらしい本日、今は快晴です。
本日も、礼拝が徳山、柳井、防府では礼拝が行われました。
連休の中日ということもありましたが、集われた方々でともに祈り、
愛さんをいただきました。

本日の献花は、ご召天になった方を記念してささげられたものです。
来週も礼拝は、10/18(日) 
       徳山10:45~
       柳井10:30~
       防府15:30~
 10/15(木)には、
       益田14:00~ 
       六日市19:30~ です。 どなたでもご自由にお越しください。

 本日の説教要旨です。




プロテスタントの中のルーテル派は、「先行する神の恵み」という考えを大事にします。人の行いではなく神の行いが先行するのです。主のご生涯には、弟子たちや宗教者たちが出てきます。宗教者が主に問答を挑みます。離縁の件です。これには、当時の事件が背景にありました。領主ヘロデのスキャンダルです。ヘロデは兄弟の妻を強奪したのです。ファリサイ派は離縁の是非の答えを主に求めます。「試した」と聖書にあるのはこういうことです。

「離縁は律法に叶うか」とは裏のある問いです。叶うと答えれば主はヘロデに屈した意気地なしとして糾弾され、叶わずと答えればファリサイ派はヘロデ派に密告する。主はいずれの答えでも断罪されてしまうのです。意地の悪い問いです。主はまずモーセの故事により、離縁は叶うと語り、加えて「神の結ぶ縁は離し難い」と。「叶わない」ということを話します。つまり主は端からこのような無茶な問いにまともに答えないのです。

主は離縁に関して、困難な局面に立つ女性を弁護されます(ヨハネ4章)。人間社会の営みの中では、避けられないことなのでしょう。旧約のコヘレトも「結ぶ時や離れる時、抱擁の時や抱擁を遠ざける時」を語るのです。主は個々の例を知っておられます。双方が折れずに難しい状況の夫婦や、どちらかの短慮で家庭生活維持が困難な夫婦などです。主の言葉は、一般論ではなく、ヘロデのスキャンダル故の言葉と理解したいのです。

主が離婚に関して語るのはヘロデの件があったからです。それを当の弟子たちが理解しませんでした。後半では子どもの祝福を願う人々を叱り飛ばします。主の思いが蔑ろです。主は「子供のような心」を語ります。子どものように他者を受け入れ得ればこれに勝る幸いはないでしょう。受け入れることが難しい私たちを主は受容されます。