昼の光の中で観ますと、あまり良く分かりませんが。夜が楽しみです。
いつもの献花です。白と赤の花が聖壇に映えています。
マルチン・ルターの垂れ幕も、ここに付けられる予定です。
夜にはどう映るか、それが少し心配なのですが。
本日も、徳山、柳井、防府では礼拝が行われました。
毎週木曜日には、益田、六日市でも礼拝が行われています。
来週の益田の礼拝は、小浜という場所で行われます。
海の音を聞きながらの礼拝、楽しみです。
徳山では上記のように、礼拝後クリスマスの飾りつけが
行われました。夜間の写真や動画は、今週中に何とかこちらでご紹介できればと思います。お楽しみに!
来週も礼拝は、 以下の日程で行われます。
どなたでもご自由にお集まりください。
11/29(日)
徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
11/26(木)には、
益田小浜14:00~
六日市19:30~です。
本日の説教要旨です。
【マルコ福音書13章24-31節】
主の十字架から7年後、マルコ福音書執筆の20年前、紀元40年のことです。ユダヤ神殿の聖所に自身の像を設置しようと、時の皇帝カリグラが試みました。皇帝の暗殺で行われませんでしたが、主は14節で予見されます。そして24節「それらの日」何が起こるかと言われます。天変地異です。神さまのお働きが汚され、隠される出来事と言われます。
主の時代、神殿は神さまと先祖たちの「力と栄光」の象徴でした。神殿の聖所には、十戒の石板が置かれていると考えられていました。それも神さまからの「力と栄光」のしるしでした。主は、それらが汚される時、ご自身の姿で「力と栄光」を示すと言われるのです。主は建物に頼らず、ご自身の姿を示すのです。実際の所はどうか。
神殿に皇帝像を置く企みは叶いませんでした。でもその後、神殿そのものが壊されます。だが主は再臨しません。それから後、今日に至るまで主は再臨しません。2000年の間、つい最近も世には不条理や戦乱や混乱があります。だが主は再臨しません。私たちはただ待ち望むしか出来ないのです。目前の苦難は続くのです。主は、待ち望むことに時に疲れ、また信仰を時に投げ出したくなる私たちにみ言葉を用意します。