写真は、以前のものです。だた、本日の様子を表すに最適なものと思いましたので、
再掲載です。
本日は、ルーテル神学校の働きを覚える礼拝が行われました。
説教は、徳山教会先牧師の河田優牧師でした。
本日は礼拝後、結婚式が行われました。
教会員子弟の結婚式でした。大勢の皆さまの御芳志を頂いての式でした。
説教は、 続けて徳山教会先牧師の河田優牧師でした。
送り出してくださったルーテル神学校のお働きに感謝いたします。
今週、来週も以下の日程で 礼拝が行われます。
10/11(火)徳山C聖書の学び
15:00~16:00
10/13(木)には、
益田にて、小浜礼拝13:00~
益田教会では 14:00~ 礼拝、
六日市礼拝 19:30~ です。
10/16(日)徳山10:45~
柳井10:30~
防府15:30~
本日の礼拝のメッセージです。
【ルカ福音書17章11-19節】
イエスさまは「ある村」に入られます。「村」とあることに注意が必要です。当時皮膚病を患う方は故郷を放逐されました。そういう状況の中で、なぜこの10人は村に住んでいたと記載があるのでしょう。恐らく同病故に身を寄せ合って生きるしかなかったということでしょう。ユダヤ民族もサマリア民族も無区別だったのです。主はその村に近づく。ルカ福音書の主の特徴は、人と共にあることです。主は人の世に生きるのです。主は彼らに近づきます。
いうまでもなく「感謝」がテーマなこの聖書、実は感謝には二種類があると考えます。
一つ目は、「うれしいこと」に感謝する思い。帰らなかった9人の心は如何か。彼らにも感謝の心はあったでしょう。ただ感謝表明以上に、祭司に自身の体を見せ、治癒証明を貰い、生活再建を重んじた。「うれしいこと」に注目すると、感謝の心は埋もれ易くなる。
二つ目は、不利益にも感謝する心です。帰って来た一人は主に感謝しました。癒された彼ですが、病の完治証明は、サマリア人であるという理由だけで得難いのです。彼は今後も不利益を被り続けるのです。だが主に感謝しました。自身の不利益を前にしても、主に感謝する心を持つのです。ここにあるのは、全てのことに感謝するという心持ちなのです。
パウロは高名な箇所で「全てに感謝」といいます。この「全て」とは、利益は元より不利益も含むものです。私たちは日ごとの感謝すら覚束ないものです。不利益などため息か愚痴の足しにもなりません。この10人も癒えたから9人は内心で感謝し、一人は主に感謝出来たのでしょう。けれど、この聖書が語る感謝の重大な点を語っていませんでした。主が近づいた、それ故彼らは感謝し得たのです。私たちには、不利益や困難、絶望の最中でも主が共にある。感謝は、「主が共にある」ことを覚えるからこそ生まれてくるものなのです。