2016年10月16日日曜日

10/16  献花と礼拝メッセージ


 本日の礼拝献花です。夜半に撮りましたので、周囲が暗いのです。


 本日も、徳山では礼拝が行われました。礼拝後は鯛めしキノコご飯。秋の味覚ですね。
 キノコの卵おすましも頂きました。

 今週、来週も以下の日程で 礼拝が行われます。
 もう、年末まで数か月です。愕然としましたが・・・・・・。

 10/18(火)徳山C聖書の学び
  15:00~16:00


 10/20(木)には、
       益田にて、小浜礼拝13:00~
       益田教会では 14:00~ 礼拝、 
        六日市礼拝 19:30~ です。
 10/23(日)徳山10:45~
       柳井10:30~ 
        防府15:30~

本日の礼拝のメッセージです。


【ルカ福音書18章1-8節】
主は最後に「人の子が来る時、地上に信仰を見出すか」と問います。主の言葉には私たちに関わりのある背景があります。「終末」です。終末には二つの意味があって、一つ目は主の再臨。二つ目は私自身の命の終わりとしての終末。誰もが二つ目の終末を確実に迎えます。その際果たして主は信仰を見出すかという問いです。背筋が正される言葉です。

私たちに、熱意さ、熱心を求める聖書です。だがこの例え話は難解というか、強烈な印象が残ります。不遜な裁判官が登場します。彼の思想は裁判官として矛盾しています。果たして裁判官と言えるか。煩いからと聴くのですが、要点は、不遜な裁判官でも熱意にほだされるということです。益して神は熱心な声を取り上げるというのが話の趣旨です。

問われる信仰の熱意です。平静時には熱意は持ち得ないものです。おそらく私たちは、自身の終末の時には、熱心にすべてに取り組むのでしょう。今は、そうではないかもしれません。熱意が大切という言葉は理解できますが、冷めてしまうものです。平静な今、できることがあります。まず、聖書の通り、熱意を受け入れたもう主の心を知ることです。

そして、もう一つ主が私たちに望まれることがあります。「神を恐れず人を人と思わない」のは、私たちの世の中でしょう。これは皆さんの方が承知していることです。私たちが生きる処にある問題と、その問題に翻弄される私たちや隣人がいるはずです。身近に居ないか、近しい人はいないでしょうか。私たちは、自身の祈りを、その隣人の執り成しのためにも向けたいのです。小さい私たちには小さい信仰があります。だがその私たちの信仰に、神さまは祈りの心を下さるのです。祈りは信仰者にとって深呼吸。礼拝堂に満ちる神さまの愛を頂いて、自身のため、他者のために祈るものとなりたい。深呼吸なのです。