礼拝堂は日曜日こそ暖房を入れていますが、週日は一桁温度ですので、
お花も生き生きとしているのでしょう。
こちらは2/10の益田の海です。雲が迫って来ています。
この後、山陰では大雪になったようです。
こちらは2/11 徳山献花です。
水仙が春を告げています。
主の変容主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。
1 初ばいさんを迎える教会の幼子のために、K兄が証しをしてくれました。
幼子のために教会の人が祈る、ということの大切さを思いました。
2 本日、御尊父の法要を為さっている兄弟姉妹のための祈りがなされました。
3 明日の教区女性会総会で役員に選任予定の姉妹のため、
またかつて役員をなさった姉妹のための祈りがなされました。
今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。
2/12 広島 教区女性会総会
大阪 教区常議員会
2/13 火曜日 聖書の学び 15時より
2/17 13時 益田市小浜礼拝
14時 益田教会礼拝
19時 六日市礼拝
2/18 10時45分 徳山礼拝
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。
【マルコ福音書9章2-9節】
今日の聖書は、十字架への道を歩み始めるイエスさまのお気持ちを確かに見ることが出来る箇所です。それは「六日後」という、唐突に登場する時間表現からも明らかなのです。
文脈に関係ないように思える「六日後」。この「六」という数字に意味はあるのか。聖書で「六」とは、「未完全、不十分」を表す数です。本日の聖書は、主が神さまとしてのお姿を示されたのですが、それはこの時は未だ十分でないということなのです。弟子たちの姿が主の思いを明らかにさせます。この三人、主の公生涯中は、少なからずの問題を抱えていて、その問題が主によって浮き彫りにされていました。早合点、激情家というところです。
以前「早合点」のペトロは、主の受難予告をたしなめて、逆に叱られていました。このペトロにとって主は「栄光のお方」なのです。その思いは続いていて「仮小屋を造りましょ」と今日の聖書でも言います。要は、主に栄光の姿のまま、旧約聖書の偉人たちと語り合う神的な姿のまま留まって欲しいのです。しかし偉人たちは姿を消し、主のみが残ります。旧約の偉人たちも、主ご自身にも、何よりも神さまにも、主が栄光の姿を示すのは「不十分」だという思いがあったのです。そうです、主は栄光だけでなく、苦難の道を歩み始めるのです。
今日の聖書で示唆に富む言葉は「山を降りる」でしょう。かつて主は、「いと高き」ところで神さまの御子として暮らしておられました。その主がクリスマスで人の世に生まれ、生まれてから即座に艱難辛苦に巡り合われました。神さまも主も、高い所にお留まりになることも出来たのです。しかし神さまは、人を裁きたいお気持ちもお有りでしたが、最後には人を救うために、御子をも救うために十字架の決断を為したのです。来週からは四旬節に入ります。栄光から苦難へ、山上から平地を経て十字架を見上げる主を覚えましょう。