2018年2月18日日曜日

2/17.18 道路と海と献花と礼拝



 2/17 山口市の徳佐手前の峠道です。凍結してガタガタの道でした。
益田市小浜海岸。この後、いつものように小浜礼拝が行われました。
  2/18 徳山礼拝の献花です。紫が、会員の誕生日を覚えて捧げられました。
 四旬節カラーに合わせてあります。

  2/18 徳山礼拝の献花2です。梅の花です。

 四旬節第一主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。
1 初ばいさんを迎える教会の幼子のために、M姉が証しをしてくれました。
  「マラナタ」の讃美歌から、聖餐式の意味について話されました。
2 体調不良の方のために祈りがなされ、春になって会えるようにと祈られました。
3 教区女性会総会で役員に選任された姉妹のための祈りがなされました。

今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。


2/20 火曜日 聖書の学び 15時より

2/24  13時 益田市小浜礼拝
    14時 益田教会礼拝
    19時 六日市礼拝
2/25 10時45分 徳山礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。

【マルコ福音書1章12-13節】
 福音書にしばしば登場する「悪霊」または「サタン」は、人には害悪を為すとされていましたが、主には従順という書かれ方をしています。当時、悪霊やサタンがどう見なされていたか。詳細は省きますが、「神さまの家来」とされていました。なぜ神さまの家来が人を試み、害悪を為すのか。旧約のヨブ記はその点に一つの示唆を与えています。「試すため」です。人がいかなる時でも神さまを思い出すことが出来るか、現状に自暴自棄にならないか。今日の聖書は「荒野の誘惑」ですが、その中で私たちに問われていることを聞きましょう。

 それで、なぜ主が誘惑に遭われたのか。主が誘惑に折れるわけなく、サタンの唆しに乗るはずなく、野獣に危害を加えられるはずもありません。無意味な誘惑をなぜ受けられたか。それは「四〇日間」という日数の意味を解くことが重要です。四〇とは、聖書の中では「訓練、試練の時」ですし、当時の人生の長さでもあります(人生40年の世界)。つまり、「主が40日間誘惑に遭われた」ということが意味するのは、「人生には時として試練としか思えないことが続く時があり、人生そのものが誘惑との戦いである」という意味なのです。

 そして、サタンは聖書の世界観では「神さまの家来」です。「誘惑を避けましょう」と言うのは易いのですが、甘くはない。気付いた時には誘惑にはまっている現状です。私たちの心の欲する所を巧妙に突くのがサタンですから、どうしようもありません。対処法は、サタンの思惑を知ることにあります。抽象的な言い回しですが、神さまは、私たちの手をしっかり握って離しません。しかしサタンは誘惑によって、私たちが自分から神さまとのきずなの手を離そうと試みます。では、どうすれば良いのか、聖書は結論を書いています。

 それは「天使が守っている」というみ言葉に顕著です。「四〇日間」主には天使が仕えていました。私たちには、いついかなる時でも主がそばにいます。それは、誘惑にはまり、苦難に心がしぼむ時も同様です。それが「私たちを誘惑に遭わせず、悪より救って下さい」という主の祈りの解き明かしにもつながります。私たちの人生に、主が共にあります。