2018年4月15日日曜日

4/14.15 礼拝と献花

 本日の徳山C献花です。今はルーテル宇部Cで牧師をされている先生の
お母さまが植えられたと言われるもみじとローズマリーが捧げられました。

昨日の益田小浜の海です。
 礼拝に集われている方が、先々週土曜日にお風呂場で転倒され、
 耳後ろと左手を縫われたことを聞きました。
 傷がすみやかに癒えることを祈りました。月曜抜糸と言うことです。

  復活後第2主日の今日、教会の礼拝ではこういうことがありました。
1 徳山Cには、教会員子弟が使っていたグランドピアノが捧げられています。
  H兄が、そのピアノでハイドンの一曲を演奏されました。
2 下関Cのオルガン補修、宇部Cのトイレ工事、厚狭Cの屋根修理を覚えて
  また新年度を迎えた子どもたち、学校の教師を覚えて祈りが捧げられました。
3 徳山Cの礼拝堂、敷地が先人たちのお陰で備えられていることの
  感謝の祈りもありました。
4 島根県大田市、熊本県、東日本大震災の被災者の方々を覚えての祈りもありました。
5 イースター礼拝後に撮られた写真が配られました。H兄の御奉仕です。
6 礼拝後、タケノコご飯、溶きたまご汁を頂きました。


今週、来週ともに礼拝、集会は以下の日程で行われます。

4/ 17 火曜日 15時 聖書の学び

4/ 21 土曜日 13時 益田市小浜礼拝
        14時 益田教会礼拝
        19時 六日市礼拝
4/ 22 日曜日   10時45分 徳山礼拝

いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。

本日の礼拝説教要約は以下のとおりです。


【ヨハネ福音書211-14節】
 復活の朝、主は弟子たちに「ガリラヤに行け」とマグダラのマリアを介して告げられました。この福音書で、弟子たちはガリラヤに戻っています。主の言葉を受けての帰還でしょうか、妙に元気がありません。実際、弟子たちは伝道をするのでなく、漁をする。「人間を取る漁師」とされていたのが「魚を取る漁師」に戻ろうとしていたのです。でも「何も取れなかった」のです。心配事を抱えている時、他事をしても不首尾なのです。その心配事は、主のこと、自分たちの身の振り方でした。これからの事を不安がる心が弟子たちを支配していたのです。

 そこに主が現れ、漁の立ち位置変更をアドバイスします。すると大漁になります。「み言葉に耳を傾ける、その時、道は開ける」ということの一つのしるしです。しかしここでペトロが上着を着て湖に飛び込むという賢愚混在の行動を取ります。上着を着る事で主への敬意を表しますが、同時に、上着着用は溺死の可能性があります。訳が分からなくなった、主の復活を信じていなかったのです。そんなペトロがやっと陸に上がると、炭火がありました。

 さて、ペトロはこれまでも良く言えば柔軟な、悪く言えば風見鶏な、周囲の状況に翻弄される生き方を示して来ました。それは丁度、今日の聖書冒頭の「ティベリアス湖」の名の変化と同様、「人は周囲の状況変化に弱い」ということの示唆です。人がたとえ自身の状況の中で信仰やその心を変えるようなことがあっても、主は変わられません。ヘブライ人の手紙が証しするように「主は、昨日も、今日も、永遠に変わる事なく」私たちとの関りを持たれるのです。

 この湖では「ティラピア」という魚が多く取れます。当地では「聖ペトロの魚」という別名が付いています。夜更けから明け方まで漁をしていた弟子たちには何よりの御馳走です。炭火が用意してあったことも、もてなしの馳走に他なりません。何よりも、み言葉が与えられたこと、不調の中で導きが与えられたことも馳走と言えるのです。信仰の挫折、人生の挫折は時を選ばないで私たちを脅かすものです。その時こそ、み言葉が必ず示され、閉ざされていた道が開けるのです。私たちはその主の愛を受ける者です。日々感謝して生きたい。