昨日は益田、六日市でも礼拝が行われました。
礼拝後、会員の方が花壇の手入れをして下さいました(雨の中)。
ただ感謝の思いです。
なんだかこの最近、説教題がうまくいきません。
一か月前の思いつきと説教作成週の思いのズレが…。
見方を変えて、会衆席右側からの写真です。
今週から「四旬節」に入りました。典礼色は紫になります。
今週までルーテル教会「改訂式文」ダイヤを試していました。
来週からはハート式文となります。
今週、来週の教会行事、牧師動静は以下のとおりです。
3/12 火曜日 11時 牧師 柳井行き
15時 徳山聖書研究
3/14 木曜日 15時 シオン教会三役会 於:光市
3/16 土曜日 14時 益田礼拝
19時 六日市礼拝
3/17 日曜日 10時45分 徳山教会礼拝
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
【ルカ 4章1-13節】
「四旬節第一主日」とは、十字架へと向かう主のみ苦しみの意味が示される最初の主日です。しかし、主が誘惑に遭われたが、誘惑をみ言葉によって乗り切った今日の聖書の記載が、どのようにして「主のみ苦しみ」と重なるのか。「誘惑と克服」がなぜ「十字架」と関わり合うのか。そのことがらは、主が誘惑に遭われた40という日数の聖書的な意味を 紐解くことによって、明らかにされると考えます。では40という数字は何を意味するか。
有名な所では「試練の日数」です。ノアの古事は、雨が同日数降り続いたことを語ります。ノアと同日数「主は苦しまれた」のですし、加えてとどめの三つの誘惑があります。空腹を満たし(第一誘惑)、神の国を一瞬で立ち上げ(第二誘惑)、主に神を疑わせる(第三誘惑)ものです。しかし主はみ言葉を通して誘惑を退ける。すると「時が来るまで」悪魔は主を離れるのです。離れた悪魔は、主の十字架直前にユダの心に入り、策謀を為します。
主は三つの誘惑に加えて、ありとあらゆるこの世の誘惑に「苦しまれた」のでしょう。ここから「主の受けぬ試みも…ない」(讃美歌532)という信仰の言葉が出て来るのです。しかしこれだけでは、主の苦しみと私たちの関連性は「誘惑の共通性」に終始します。40という数字は、「執り成しの日数」でもあります。神さまはモーセに、十戒の石板を二度渡したのです。一度目の石板は、ユダヤの民があまりにもだらしなかったので壊してしまいました。二度目の石板は、モーセの40日の断食と執り成しの思いを通して授けられたのです(申命記9章)。
神と人との執り成し(和解)のために、主は十字架に架かられ、復活されました。そのことから私たちにも、「永遠の命」が示されたのです。荒野の40日の断食と誘惑は、やがて読む「主の十字架」への先取り。つまり主は、神さまと私たちとを再度結び、「懐かしい人」に再開できる喜びを今日の聖書で示そうとされているのです。誘惑には勝てません。気付いた時には誘惑による後悔の渦中ということがあります。むしろ、そのような私たちを主は、十字架と復活の出来事で導き、一歩を歩み出して下さることを覚えたい。