集会室は来週に備えて、教会員の方が整えて下さいました。
本日の礼拝堂です。「受難主日」として礼拝を守りました。
今週、来週の教会行事、牧師動静は以下のとおりです。
4/16 火曜日 11時 牧師 柳井行き
15時 徳山聖書研究
4/20 土曜日 14時 益田祈祷会
19時 六日市礼拝
4/21 日曜日 10時45分 徳山教会礼拝
今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
【ルカ22章54-62節】
ルターの働きの一つに「職業召命観」の確定ということがあります。ルターの時代としては斬新だったのですが、この世のどのような働きでも神さまが与えて下さった使命と考えたのです。今日は過酷な労働環境は一つの問題となっていますから、全てに「神さまの召し」という概念を当てはめることは困難です。では、生活の現場で立ち止まり、先に進めない時にはどうするのか。それは今日の聖書のペトロの姿にも表れています。
聖書は「ペトロの三度の否定」有名な箇所です。以前に主は「あなたは三度、私を知らないというだろう」とペトロに言われました。その際「そんなことはありません」と断言するのです。しかし実際の姿は今日の聖書の通りです。実はこの「三度の否定」にはそれぞれに意味があります。一度目は「主との関りの否定」、二度目は「仲間との関りの否定」、三度目は「自身の存在の否定」ということです。そうまでしてもペトロは、我が身を助けたいと思ったのです。人は、強くはない。主という支えを欠いたペトロの弱い姿です。
私たちは、時に周囲や自身の状況に絶望、失望することがあります。鶏鳴を聞いたペトロの心中も、まさにそのような状況と察します。けれどそのようなペトロに主がかつてこう告げたことは大切です。「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい(22:32)」と。先立つ主の言葉をかみしめながら、ペトロは主の十字架の知らせを聞いたのでしょう。主のみ言葉が先立ち、それを踏まえながら悔い改めの中に生きる。ペトロはそのような十字架の時を過ごす者だったのです。復活の朝のことは来週、み言葉が語ります。
諸事に遭う時には、立ち直れないことがあります。ここまでの事を言ってのけたペトロも深い落ち込みにはまったことでしょう。しかし「立ち直る」ことが出来る。それは一人での再起ではありません。ペトロも、私たちのことも全てご存じの主と共に立ち上がるのです。あるいは、立ち上がるための備えを為すことも大事かもしれません。そして「近しい人を力づける」働きに招かれている。その主のみ言葉に生きる群れでありたい。