2020年9月6日日曜日

9/5.6.9 礼拝と過去の献花

 

 9/2(水)は午前中、益田に行きました。

 以前、益田の教会員が作られた作品です。

 9/5(土)は柳井で、9/6(日)は徳山と防府で礼拝が行われます。
 9/9(水)は六日市での礼拝となります。

今週、来週の礼拝は下記の通りです。


9/9 水曜日 19時 六日市C礼拝

9/11 金曜日 14時 聖書を学ぶ会
 
9/12 土曜日 15時 柳井C礼拝 

9/13 日曜日 10時45分 徳山C礼拝 
       15時半  防府C礼拝
   
いずれの礼拝、集会にもどなたでもお越し頂けます。
 今日の礼拝メッセージ要約は以下の通りです。
 

  「小さな群れよ、恐れるな」  マタイによる福音書 18:1520 (35)

オーケストラの方々は、楽譜と指揮者に心を併せる中で、美しい音を奏でると思います。そしてそれが大勢になっても、各自が楽譜と指揮者に従う中で、「シンフォニー(調和)」が生まれるのでしょう。私たちも、聖書(楽譜)と神さま(指揮者)の御心を問いつつ生きる中で、私たちの「音を奏でる」のですし、離れる時「不協和音」が発せられるのでしょう。「不協和音」は「的外れ」な音。「的外れ」という言葉は、聖書の「罪」と言う言葉の直訳です。

 

マタイ18章になると、主の公生涯も後半期となります。弟子の数も多い。その中で「人間関係のトラブル」も発生することがあったと思われます。18章には「トラブル」を事前防止する事項も散見されます。主は今日、「兄弟があなたに対して罪を犯したら(15)」と語られます。「兄弟」とは近しい関わりに有る者。「罪」とは的外れ、具体的には心に沿わない言動。これらは、私たちの生活の中で、しばしば、そして突然起こってくるようなものです。

 

解決法は、当事者同士(15)、第三者の介入 (16)、公の場での判断(17)となります。それでも和解が叶わない場合は、「異邦人か徴税人と見做せ(17)」と。簡単に言えば、「没交渉」「割り切ること」も選択肢の一つなのです。地上の歩みの中では、誰かとの「つないだ」関わりが「解かれる」こともあるでしょう。御国でもその事柄は継続すると言われます(18)15-18節では、人間関係の事柄の中で無理を重ねないことが言われるのです。大切な事です。しかし、そこから「一歩前に」進むような勧めを主は19節でなさいます。

 

「二人が地上で心を一つにする(19)」この「心を一つに」に「シンフォニー」という言語が使われているのです。私たちは信仰者として、神さまと聖書の御心を悟ることはもとよりです。ただ「相手の心に沿う」「相手の音に自分の音を併せる」ことは出来ないか。相手の心に自らの心を重ねることは難しいものか。常にとか、いつもとか、未来永劫とか、そういう無期限ではなく、時に「不協和音」が自身と他者に流れる時、心を併せることを大切にしたい。主が、「二人または三人」の輪の中に居られる(20)」ので、「恐れず」に 生きたい。