2/6(日)朝10:00 徳山の礼拝堂でした。
窓は牧師室。一年前の(つまり、2020年クリスマス)ポインセチアが元気です。
2/6(日)13:15 六日市の風景です。
奥には吉賀町役場が見えます。 会員宅で祈って、防府へ。
2/6(日)15:15 防府の梅の花。
咲きました。
2/7(月)16:30 吉賀町斎場。
ここでご葬儀が行われました。
同時刻。西南の風景です。うっすらと、雪化粧。
2/4(金)の早朝、心肺停止から蘇生された方が、
2/7(月)早朝、三人のお子たちと、一時の別れを告げられました。
御年94歳。昭和、平成、令和の世を生きた方でした。
葬儀はキリスト教式で行われました。
今週の予定は以下の通りです。
2/9 水曜日 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝
2/12 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
2/16 水曜日 19時 六日市チャペル礼拝
2/19 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
■ ルカによる福音書5:1~11 (新109)
Gospel of Luke 5:1~11
1イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。
6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。
■ 説教 「やれやれ、と思ったら」
「好きな讃美歌」は、何が惹きつけるのでしょう。言葉=聖書のみ言葉/教理か、音楽でしょうか。そもそも教理や聖書の言葉は、難解と言えます。しかし、それが音楽と重なる(調和する)と、教理やみ言葉が自然と入ると思います。旧約「詩編」も、150編中、ほとんどが「…楽の音に」合わせて歌われたものです。また最後150編は、当時の楽器分類が書かれています。み言葉と音楽は親和性に満ちていますし、今日の箇所も同様なのです。
「琴」という弦楽器は詩編にも登場します。形状は、ユダヤ北部の湖、ガリラヤ湖に似ています。この湖を旧約時は「キレネト湖」と読んでいました。ルカは伝統か他意か、「キレネト」のギリシャ語読み「ゲネサレト湖」と記すのです。場面は、主が湖で宣教なさる箇所です。旧約の「律法」や、先の「洗礼者ヨハネ」は、基本的には厳しさを語るものでした。しかし主は「優しい神の愛」を告げるものでした。自然と、主の周囲には人が集まるのです。
主の教えは、求める人々の心に重なり、「調和」が見えています。けれど「不協和音」もありました。それがペトロたち4人の漁師たち。「み言葉も良いが、今日をどう生きるか」の思いで、ゴミしか挙がらない網を洗っていたのです。主とペトロは、少なくとも旧知の中で、主もペトロの「不漁」の思いや「使用人を想う気持ち、今日の糧の気持ち」をご存じだったのです。「やれやれ…」という、そのペトロの思いにも、主はその御心を重ねるのです。
ルカが「琴の湖」という意味の「ゲネサレト湖」と書いた理由はここにあります。私たち人間は、単音を奏でることはありません。弦楽器と同じく、場所、状況、天候、背景に応じて、代わる、代わるの音が自ずと出るものです。ペトロも同様、「弦楽器」でした。主のみ教えは、そこに重なるものなのです。ルター派の教えは「恵み、信仰、聖書」のみで、結びは「近づくキリストの教え」です。私の今、今のあなたに、主が思いを重ねることを覚えたい。