11/20(日)徳山チャペル礼拝後に、来週の用意が行われました。
天井には雲(紫と白)。教会的なアドベントカラーと言えます。
去年は一個も成らなかった実が、今年は7-8個出来ています。
治水事業の人工構造物と、自然が同居する写真です。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
11/23 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となります。
11/26 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
11/30 水曜日 13時半 益田チャペル訪問と祈祷
18時 六日市チャペル礼拝
12/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ エレミヤ23: 1~ 6 (旧1218)
◆ ルカ23:33~43 (新158)
■ 説教 「永遠の王、キリスト」
私たちは、自分の名前に意味を見出せると思います。同様に「救い主」である「キリスト」と呼ばれた「イエス」。イエスという名は、「キリスト」とほぼ同じ「神は我らの救い」との意味でした。主イエスは、「救い」を自分のためではなく、必要とする人々のために提供されました。神さまと一人ひとりの間を、主イエスは仲立ちして下さったのですし、私たちもその一人です。しかし主の行いが、時の宗教者の体面に触り、主は十字架刑に服するのです。
ゴルゴタに連行される主の名を、人々は揶揄(からかい)します。議員「他人を救ったのだ」、兵士「自分を救え」、一人の犯罪人「自分と我々を救え」と。主の名に「救い」があるため、「救いを願え」と嘲笑されます。ところで、主への嘲笑には二通りあります。議員と兵士は「自分を救え」と言い。犯罪人は「罪を犯した私を救え」です。この時点の主は、恥辱と特製の鞭での打撃の痛みです。しかし主には、主ご自身を救う気持ちは全くないのです。
主の十字架頭上には「ユダヤ人の王(38)」という一方的な罪状書きがあります。「王」とは基本的に、自己の権威を保持、高めつつ、権勢を及ぼす者です。しかし主には、救いを求める一人に向かい合うのみです。十字架刑とはローマ式刑罰で(日本式長槍とは違う)、長時間の痛みを伴う刑罰です。恐怖の中で「主よ、み国にて思い出して下さい」ともう一人が言います。その一人に主は「楽園」を想起させて、共に十字架に架かるのです。
かつて主は天国には「居場所がある」、例え話では「楽園」と語った場所を、一人の今際の時に告げるのです。ご自身の救いは、委ねていたのでしょう。どこまでも他者のことを思った主は、この直後「永遠の王」として、今も私たちの傍におられるのです。来週から私たちは、「永遠の王」の誕生を控え、アドベントに入ります。地上の生の支えと、み国での生のためにこの世に来られた主のことを思い、楽園までの日々を希望をもって過ごしたい。