2022年11月22日火曜日

11/16.19.20 検査と平瀬ダム手前、徳山

 

11/20(日)徳山チャペル礼拝後に、来週の用意が行われました。

天井には雲(紫と白)。教会的なアドベントカラーと言えます。

11/20(日)防府チャペル。

去年は一個も成らなかった実が、今年は7-8個出来ています。

11/19(土)。関係施設が所在する市の方針で、週に一度のコロナ検査。

11/16(水)新道から、平瀬ダム近くを臨んでいます。

治水事業の人工構造物と、自然が同居する写真です。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

11/23 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝 家庭礼拝となります。

11/26  土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

11/27 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

11/30 水曜日 13時半 益田チャペル訪問と祈祷

        18時 六日市チャペル礼拝

12/3 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

12/4  日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

  エレミヤ23: 1 6 (1218)

 ルカ23:3343 (158)

 

 説教               「永遠の王、キリスト」 

私たちは、自分の名前に意味を見出せると思います。同様に救い主」である「キリスト」と呼ばれた「イエス」。イエスという名は、「キリスト」とほぼ同じ「神は我らの救い」との意味でした。主イエスは、「救い」を自分のためではなく、必要とする人々のために提供されました。神さまと一人ひとりの間を、主イエスは仲立ちして下さったのですし、私たちもその一人です。しかし主の行いが、時の宗教者の体面に触り、主は十字架刑に服するのです。

 

ゴルゴタに連行される主の名を、人々は揶揄(からかい)します。議員「他人を救ったのだ」、兵士「自分を救え」、一人の犯罪人「自分と我々を救え」と。主の名に「救い」があるため、「救いを願え」と嘲笑されます。ところで、主への嘲笑には二通りあります。議員と兵士は「自分を救え」と言い。犯罪人は「罪を犯した私を救え」です。この時点の主は、恥辱と特製の鞭での打撃の痛みです。しかし主には、主ご自身を救う気持ちは全くないのです。

 

主の十字架頭上には「ユダヤ人の王(38)」という一方的な罪状書きがあります。「王」とは基本的に、自己の権威を保持、高めつつ、権勢を及ぼす者です。しかし主には、救いを求める一人に向かい合うのみです。十字架刑とはローマ式刑罰で(日本式長槍とは違う)、長時間の痛みを伴う刑罰です。恐怖の中で「主よ、み国にて思い出して下さい」ともう一人が言います。その一人に主は「楽園」を想起させて、共に十字架に架かるのです。

 

かつて主は天国には「居場所がある」、例え話では「楽園」と語った場所を、一人の今際の時に告げるのです。ご自身の救いは、委ねていたのでしょう。どこまでも他者のことを思った主は、この直後「永遠の王」として、今も私たちの傍におられるのです。来週から私たちは、「永遠の王」の誕生を控え、アドベントに入ります。地上の生の支えと、み国での生のためにこの世に来られた主のことを思い、楽園までの日々を希望をもって過ごしたい。