11/8(火)朝9時30分前後の、徳山チャペル礼拝堂です。
東からの光が、いつも礼拝堂を照らすのです。
11/6(日)防府チャペル外の納骨堂です。
会員の方により、一週間かけてペンキが塗りなおされました。
植込みの後ろまで塗られている、心を込められたご奉仕です。
11/3(木/休)宇部教会を会場に、3年ぶりの「るうてる秋の大会」が
行われました。目算で30-40名ほどの方々が集う集会でした。
昼食は伴いませんでしたが、久方ぶりの「地区の集い」でした。
11/2(水)六日市チャペルの礼拝堂。
夜は既にこの時間、10度を下回っています。
今週は、それぞれのチャペルでは「全聖徒主日」が行われれています。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
11/2 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
11/5 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
11/9 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
11/12 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ルカ20:27~38 (新150)
■ 説教 「懐かしい方々」
眼に見える現実は、骨壺、墓石、位牌、過去帳、写真。心によぎる懐かしい顔。今、どこで何をしているのだろう、との思いは、拝する度に心に浮かびます。日課には「復活を否定するサドカイ派の人々(27)」が登場します。この人たちの思う「死後の世界」とは、「地の下であり、滅ぶ(民16:32)」、その見方が、律法重視の主の時代には支配的でした。一方、文学としての詩編23編は牧歌的な世界が言われます。この日のみ言葉を聞きましょう。
主が「死後の世界」をお語りになった箇所は、「天国に指定席が確保」(ヨハ14)、苦悩多き人への楽園、宴席(ルカ16)などが挙げられます。比較する中で、より主の方が「慰めに満ちている」「今日的な天国理解」です。このサドカイ派の人々の立場は「律法重視」です。律法には牧歌的な、第二の生としての「復活」の記載がありません。その中で彼らは、人の現世、来世への心情や尊厳ではなく、律法重視の前提で、復活を否定するのです。
サドカイ派が持ち出した「実例」は、「子が与えられない状況」、「ご伴侶をなくす状況」です。その渦中の方々が、古代観念のユダヤ社会でどれほど苦しいことか。質問の律法的回答は「長男」です。が、主はむしろ模範な解答ではなく、安易な「たとえ」の持ち込みにより苦境にある人々を念頭に「モーセの柴」の話を用います。これは、モーセが召天した三人の祖先に「生きている者」として呼びかけ、神がこの三者を支えているという箇所です。
召されたアブラハム他の人々も、たとえ話のご夫君たちも、地上の命は終えたけれども、神さまの眼差しの中で生きていると、主は38節でお語りになりました。いうまでもなく、懐かしい方々は「陰府」にはいません。姿形は多様なものに変わっても、み国にて、主イエスと共に、私たちのための場所を温め、見守っています。そして、その方々を見守る神さまは、「私たちにとっても神さま」なのです。日ごとの歩みの中、そこに大きな支えを思います。