天候はあいにくの空模様でしたが、教会の方々ともお会いできました。
2016年に召天された方を覚えて祈りました。
12/4(日)徳山の庭。青ネギ。12/4(日)ポインセチアが防府に飾られました。
12/3(土)待降節第2主日の礼拝が、柳井でも行われました。
11/30(水)益田のあとに、六日市を回って帰ってきました。
写真は、六日市礼拝での献花です。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
12/7 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
12/8 木曜日 16時 牧師 大阪出張
12/10 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
12/14 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
12/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ マタイ3: 1~12(新3)
■ 説教 「ただいま、工事中」
全てのことにつき、失敗とリスクは想定しつつ、懸命に努力します。が、想定外の出来事に失望することもあると思います。「良い実を結ばない木は皆、切り倒される(10)」と洗礼者ヨハネは語ります。厳しい言葉と思えます。これは「回心」を迫る、預言者に特徴的な説教ですが、一読すると、常に100%の結果を求める言葉に聞こえます。意味は何か。洗礼者ヨハネの直面した現状、ヨハネが預言した主イエスの生を、聖書を通して聞きましょう。
一般的に預言者とは、神から直接の啓示を受けたという誇りを元に、既成の枠組み内はなく枠外で活動し、世に問題を提起していました。特に、時の宗教者集団の戒律づくめの生ではなく、原点回帰を伝えるものでした。ヨハネの批判は、聖書でも「ファリサイ派やサドカイ派」に向いています。彼らは、自らそれと判ぜられる成り形(23:5~)でヨハネの前に集います。そのこと自体がヨハネを怒らせ、「良い実を…」の言葉を出させたのです。
組織維持のためですが、「ファリサイ派」は良い100%の行い、「サドカイ派」は祭儀における規程100%の拠出を求め、神さまは善行で喜ぶと説いていました。ヨハネは彼らに「父(祖先)はアブラハムと思うな」祖先の名を汚している、というのです。神の業は、石からでも全てを創造できる(9)から、神さまの前に「悔い改めよ」と。神さまに方向転換すること、そして神さまを通して力を頂き、「良い実を結べ」と言うのです。そこで私たちの番です。
旧約に基づく「律法の達成/祭儀」の達成の思いは今の私たちにはありません。「神から力を頂いた上での働き」を日々行います。その結果には、様々なものがあります。「実を結ばなければ、切り倒す(10)」が、主の立場でしょうか? 否、「ぶどう園の労働者(20章)」が参考になります。「主と共に行く道(3)」は、日々工事中で、段差もあります。行き悩み、つまずくとき、何処までも待って下さる主が、私たちを活かし、支えて下さるのです。