12/18(日)防府です。説教題にワンポイントのクリスマス。
このお気づかいが、クリスマス。
今年は待降節第4主日が、待降節第4主日として行われました。
12/14(水)の六日市。タペストリーの雪。こちらはほのぼの。
島根県山間部は、雪の現状と聞いています。
幹線道路は除雪されますが、幹線道路から家への道は、各戸の除雪作業ということです。
明日(12/21)の雨が、幾分かの助けとなることを願いますが、
翌日以降の路面凍結もまた心配。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
12/21 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
12/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
18時半 徳山 クリスマス・イブ礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
12/28 水曜日 家庭礼拝 六日市チャペル礼拝
12/31 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ マタイ1:18~25(新1)
■ 説教 「人を活かす正しさ」
マタイ福音書の結びでは「世の終わりまで共にいる神さま(28:20)」が告げられます。「世の終わり」の意味は二通りありますが、少なくとも私たちは、日々の生活を支えられる神さまを思い描きます。何と、様々なことがある日々でしょうか。「共にいる神さま」は何をなして下さるのか。私たちは、孤独でなく、助けがあり、祈る対象がある、等と言えます。祈り、覚える神さまとは、愛と平和の方であり、少なくとも「怒りの神さま」ではない、と言えます。
ところが新約聖書の時代は、「怒りの神さま」が信じられていました。神さまのお名前の前に、自らの不正を恥じ入り、驚愕した人もいます(使徒5章)。主の時代の宗教者たちも、民衆心理の中で、それを利用しながら生きていたのです。人々も、神さまの怒りを心に覚えつつ、生きていたと思えます。その世相に生きる一人がいました。その名はヨセフ。彼は絶望的な先行きの葛藤を誰にも相談できず、精神的な死を突き付けられた状況でした。
婚約中の妻の「一緒になる前の(18)」妊娠。この事例を人に相談すれば、妻の先行きはヨハネ8章の通り「石打刑」。月が満ちれば事実は鮮明で「石打刑」。妻一人を野に送れば、ヨセフの良心は苛み、妻は流浪死です。ヨセフの選択は、律法に照らし合わせれば、全く正しくありません。「密かに縁を切る(19)」とは、「表ざたにしない(19)」、公に離縁訴訟(申24章)せず、マリアをどこかで守り、いざという時には自分が非難される決断でした。
しかしそれをマタイ福音書は「正しい(19)」と表現するのです。妻と子の命を奪わず、守る決断が「正しい」とされるのです。マタイはその直後、天使の来訪を通してヨセフを支え、ルカ福音書では「偶然のように見える助け」が為されるのです。天使は「インマヌエル」という預言の言葉(イザヤ7:14)を上げて、ヨセフに「神、共にある」と伝えます。「人を活かす」決断の中で、神さまが必ず良い知恵を備え、出会いと導きを備える。それを信じましょう。