12/13(火)徳山チャペルの牧師室。
植物園状態になっています。鉢植え。
12/10(土)柳井礼拝前の、抗原検査。どきどき。どっきどき。C。
毎週、この日に抗原検査をしています。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
12/14 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
12/17 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
12/21 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
12/24 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
18時半 徳山 クリスマス・イブ礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ マタイ11: 2~11(新19)
■ 説教 「主イエスの意思を継ぐ」
「風に柳」という言葉があります。今日では「受け流す力」や「スルースキル」となるのでしょう。聖書では「風にそよぐ葦(7)」「しなやかな服を着た人(8)」が、該当します。柳の木が風に逆らわないように、時流の中で身を処す生です。洗礼者ヨハネは、そのような生とは真逆の生き方をしていた、とマタイは告げるのです。しかし、律法への至誠を己が貫くのは兎も角、この世の権力者に至誠を求める生は、投獄(2)という現実が待っていました。
「正義の徒として活動したのに」との強い失望感が、ヨハネの胸中にあったと察します。一縷の望みとして、預言した主の活動の様子を聞きます(3)。かつてヨハネは、救い主は鮮烈で、活動は業火の如し(3章)と預言しました。しかし問われた主は、自身の宣教活動の歩みを言われました。マタイ福音書の後半では、主の舌鋒がファリサイ派たちに厳しく向きます。しかし活動前半である今「人々(5)に、福音」を告げる」と主が告げるのです。
主によるヨハネへの宣言 (4-6)は、「怒りの神」から「共なる神」への歴史的な転換点「神の姿の回帰」でした。創世記では全存在を肯定した「神」が、一部の旧約時には「熱情の神」となりますが、主は今「ヨハネより偉大である」との「小さいもの(12)」に福音を告げるのです。これも「もう一つの転換」です。5節で、神の正義を求め、抑圧された人々に、「神は、どのような人も偉大」なのだと、「大きくなる」可能性を持つと、主は言うのです。
ヨハネは、「祝福された」祭司家の出自でした。両親の家を継ぎ、祭司職に生きることも出来たのです。しかし、自らの家系や職業のみが優遇されている現状に憤り、野に下り、声を大にして、批判に生きたのです。一方で主は、当初から市井の人でした。「声を大に出来ない」一人ひとりに寄り添い、その生き方に神の祝福があることを告げたのです。私たちも、かつてこの祝福を聞き、今また受けているのです。誰かに、主を証して生きたい。