1/15(日) 防府チャペルの礼拝堂です。
昔はこの日が成人式だったように記憶しています。
白…牧師の間違いです。
1/15(日)徳山の礼拝堂です。
冬らしからぬ、大雨が降った週の次の日曜日となります。
他県へ出張した後の抗原検査は、どきどき。
今週、来週の予定は以下の通りとなります。
1/18 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝
1/21 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
1/22 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
1/25 水曜日 家庭礼拝 六日市チャペル礼拝
1/28 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝
15時30分 防府チャペル礼拝
今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。
◆ ヨハネ 1:29~34 (新164)
■ 説教 「神さまのアフターサービス?」
「罰」を伴う「罪」という言葉は、社会の中で禍々しく響きます。この「罪」とは、「神さまへの背き」とも言い換え得ます。今日の聖書の直前では、洗礼者ヨハネへの査問が起きていました。査問する側にとり、ヨハネの活動は既得権益の奪取でした。「あなたは、どなたですか(19)」「なぜ洗礼を授けるのか(25)」これらの問いの深奥には、既存の制度に頼り切り、生計を立てる宗教者たちの危機感と、人を集めるヨハネへの嫉妬があるのです。
日課で、ヨハネは主と出会います。その際主は「世の罪を取り除く神の小羊(29)」と言われます。ヨハネは、「水での自身の洗礼」は「目前の一人の罪」に赦しの確信を抱かせ得る。しかし主の「聖霊による洗礼(33)」は、「世に生きる人全ての罪の赦し」に関わる、と言います。水/聖霊の洗礼の違いは何か。ヨハネは自身の働きを謙虚に受け止めているのでしょうが、「自身の洗礼は一過性、主の洗礼は永続性」と受け止め、考えているのです。
ヨハネは「私はこの方を知らなかった(31.33)」と言います。母同士が親族ですが、祭司の長男と大工の長男で、住む場所が異なっていることから「知らない」とも言えます。ここでの「知らない」は、「人間的な関りがなかった」との意味です。むしろヨハネは、神と主との関り「霊が鳩のように天から降る」と告げます。神が主を支え、主が世に生きる人を全て支えるというのです。その方をヨハネは「神の子である」と証しをし、自身は退くのです。
商業的な表現ですが、ヨハネの「水による洗礼」は、壊れたもの(神さまとの関り)の修理。主の「聖霊による洗礼」は、上記に加えて「生涯のアフターサービス」とも言えます。キリスト教会は、皆この「聖霊による洗礼」を受け継いで今日に至ります。近しい所で私たちはこのことを、礼拝と一週間の関係に見れます。礼拝は特定の日の一時間程度。しかし週日私たちは、礼拝を司る主と共に歩む群れなのです。「後ろに仕える」主に導かれています。