2023年1月24日火曜日

1/21.22 礼拝堂と寒波の中のネギ

 

 1/24(火)寒波の訪れを控えたネギたち。

気のせいか、ネギの歯ごたえが強くなった気がします。

この日の蕎麦に頂きました。

 1/22(日)防府チャペルです。

 いつもとは角度を変えて撮ってみました。

 礼拝では、誕生日を迎えられる方、療養中の方を覚えて祈りがなされました。

 1/21(土)柳井チャペルの様子です。

 礼拝後、寒波を予想して、元栓締めを行いました。

 

 1/24(火)現在、周南市内に暴風雪警報が発令中です。

 午前中は「寒波??」と思える陽気でしたが、午後は一変。

 気温がみるみる下がっています。現在0度。

今週、来週の予定は以下の通りとなります。

1/25 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝 

1/28 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

1/29 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

       15時30分 防府チャペル礼拝

2/1 水曜日 18時 六日市チャペル礼拝

2/4 土曜日 15時 柳井チャペル礼拝

2/5 日曜日 10時45分 徳山チャペル礼拝      

        15時30分 防府チャペル礼拝

 今週の礼拝説教要旨は、以下の通りとなります。

 イザヤ書8:239:3 (1073)

 マタイ4:1222 (5)

 説教            「今日があなたのスタート」 

紀元前722年、北からの「アッシリア捕囚」は、南ユダ王国にも迫りました。特にイスラエル北部への事案に、南の預言者イザヤは「苦悩の中の人々(イザ823)」を思い浮かべます。イザヤの心は彼らへの「辱め」を悼み、「後に栄光を受ける(23)」と、精一杯の預言を聞き、語ります。転じて主の時代、イスラエル南北間のひずみは、「侵略時」から更に混乱していました。そこに主が、語り継がれたイザヤの預言を実現させようとするのです。

 

「ヨハネの捕縛(12)」の遠因は何か。旧守派である一部のユダヤ教宗教者の怨念と、性向を非難されたヘロデの怒りの結実と言えます。その際の主の行動を、福音書は「退いた」と明確に記します。文字通りの「活動場所の転身」の意味もあります。退かなければならない時もあるのです。ヨハネの活動は「預言者的」つまり非難が中心に来るものでした。一方で主は、非難の要素は後々登場しますが、先ず「神の愛の告知」を語られるのです。

 

「暗闇の民に光が」というかつての使信を携え、主は漁師たちの所に出かけます。主の弟子取り物語は、福音書で差があります。よりドラマチックで、分かりやすいルカ、よりミステリアスで、不思議なマタイ。マタイの場合は、主は唐突に二人の漁師たちに「人間を取る漁師にしよう」と声をかけ、二人は即座に主の弟子になるのです。「人間の漁師」という主の言葉は、確かにこの二人に響いたのです。一体、どういうことが起きて、何が契機か。

 

湖の中で魚が溺れることはあり得ません。しかし、経済を中心とする人の世の中で、600年間の被差別地域であるガリラヤという場所の中で、苦闘するのが彼ら漁師たちでした。主が彼らと知り合いだったかは不明です。しかしここで主は彼らと共に生き、他の人々も「救う」と決意されます。「救い」とは不明瞭な言葉ですが、「傍に置く、共にある」ということでしょう。その弟子がペトロたちであり、ペトロを通して今の私に繋がるのです。